おはようございます。
くましね薫です。
先日、お笑い芸人の永野さんが、自身のYouTubeチャンネルで、ジョエル・シューマッカー版のバットマン、『バットマン・フォーエバー』と『バットマン&ロビン/Mr.フリーズの逆襲』を評価する動画をあげていました。
バットマンといえば、ティム・バートン版やクリストファー・ノーラン版ばかり評価され、シューマッカー版は評価以前に存在すら忘れられている作品です。
実際私も小学生の頃にシューマッカー版を観て、とても楽しい映画で大好きでした。逆にバートン版は暗くて退屈な印象でした(成人してから改めて見返したらとても面白かったです)。
しかし、マセガキだった私が読んでいた『プレミア』という映画雑誌では、シューマッカー版のバットマンは酷評され、アメリカのラズベリー賞(最低映画賞)を受賞したり、主演のジョージ・クルーニーも「あれは脚本が良くなかった」と自虐したりで、今では駄作の烙印を押された状態です。
そんな映画を、公開から30年経って光をあてる永野さんはさすがです。
しかし、その永野さんの発言で、納得できないものがあります。
それは、
『ダークナイト』以降メッセージ全部一緒
という発言です。
『ダークナイト』は、ジョーカーという強烈なキャラクターを生み出したバットマンシリーズの傑作です。
この作品で、完全なリアル志向でアメコミの世界を描きました。
そしてジョーカーを演じたヒース・レジャーの命をかけた熱演は、観客を熱狂させます。
当時のインパクトは大きさは今でも覚えています。
私の周囲には、「ジョーカーは俺だ!」と言い出すやつがたくさん現れました。
「純粋悪」という存在を深く追求し、鮮やかに描いてしまった作品です。
そして『ダークナイト』以降のバットマンシリーズは、ずっとリアル路線を進んでいます。
なので、メッセージが全部一緒に見えるのは仕方がないです。
永野さんは、ホアキン・フェニックス主演・トッド・フィリップス監督の『ジョーカー』を標的にします。
『ジョーカー』で掘りすぎて(ジョーカーが)低所得者の代表みたいになった
『ダークナイト』以降は共感
最近の映画は寄り添いすぎて自分まで鬱になる
さすが永野さん。いまいちばん面白い芸人と言われるだけあります。
鋭い毒を吐きまくっています。
しかし、この永野さんの『ジョーカー』評は間違っています。
なぜなら、『ジョーカー』こそが、ジョーカーに共感する観客たちを、いちばんバカにしている映画だからです!
以下、『ジョーカー』のネタバレあり。
『ジョーカー』の主人公であるアーサーは、売れないコメディアンで、オンボロアパートで母と二人暮らしです。
彼は、突然笑い出してしまう精神疾患を患っています。母もまた病弱で、彼が看病しています。彼が書く日記やネタ帳は、誤字脱字が多く、学習障害もあるようです。
この設定だけでも、現在の格差社会を描いているように見えます。しかも、アーサーのカウンセリングが、市の決定で打ち切られる展開も、社会福祉が手薄くなっている現代社会をそのまま描いてます。
これは完全に「無敵の人」が主人公ですよね。
アーサーは、コメディアン仲間からもらった拳銃のせいで、職を失います。その帰り道に、地下鉄で絡んできたエリートサラリーマンを射殺します。
そこからアーサーは、徐々に覚醒していきます。
しかもアーサーが犯した殺人が影響で、ゴッサムシティでは暴動が多発します。
社会に不満を持った人々が、ピエロの仮面を被って街で暴れます。
その後、自分の出生の秘密を知ったアーサーは、母親を殺し、全てがどうでも良くなります。そして芸人として呼ばれたテレビ番組に出演し、ピエロのメイクをした彼は、自ら「ジョーカー」と名乗り、憧れの司会者を生放送中に射殺します。
彼は警察に捕まりますが、彼が乗ったパトカーは追突され、アーサーは暴動の集団の前に引きづりだされます。彼を見た民衆は熱狂し、アーサーは完全にジョーカーとなり恍惚に浸りながら踊ります。
まさに、救世主が誕生したかのようです。
ここまでのストーリーを、抑圧と解放を繰り返しながら、観客の心を揺さぶり続けます。
そして、抑圧が大きいぶん、アーサーが凶暴化する瞬間のカタルシスが凄まじいのです。まさに危険な映画です。
もし、現実世界で不遇な境遇の人が観たら、完全に彼に共感するでしょう。そうでなくても、社会に不満を持っていたなら、誰でもアーサーに好意を持ちます。
しかし。
最後のシーンです。
精神病院のカウンセリング室にいるアーサーとカウンセラー。
突然笑い出すアーサーにカウンセラーは「何がおかしいの?」とたずねます。
するとアーサーは「ジョークを…思いついて」と答えます。
つまり、どういうことか。
2時間かけて描かれたアーサー=ジョーカーの半生は、アーサーがその場で思いついたジョークだったのです!
そうです。すべて作り話だったのです!
『ジョーカー』を観て、「こんなのジョーカーじゃない」と否定する人がいますが、それは正しいのです。これはジョーカーではありません。
この作品を観て、「ジョーカーに共感した」とか「ジョーカーは俺だ」とか言っている人たちは、ジョーカーに騙されたのです!
『ダークナイト』を観て熱狂した人たちに対して、ジョーカー自身が「バーカ」と嘲笑っている映画なのです。
これが「ジョーカー」という男なのです。
彼は純粋悪なのです。共感する存在ではないのです。
アーサーが劇中で殺した人たちは、すべて負の感情が発端となっています。彼にとっては理由ある殺人です。
しかし、ラストのショットです。アーサーは血の足跡をつけながら、病院の廊下を歩いています。あのカウンセラーを殺した(もしくは傷つけた)ことがわかります。
アーサーにとって、あのカウンセラーを傷つける理由はありません。なのに傷つけ、しかも平然としています。
これがジョーカーの本来の姿なのです!
彼の凶行に理由などないのです。
彼はただただ悪の存在なのです。
そもそもトッド・フィリップス監督は『ハングオーバー』などのコメディ映画を得意とする監督です。
その監督が、普通の映画を撮るわけありません。
この映画こそが、壮大なコメディ映画なのです。
それを究極にシリアスにリアルに演出した、史上最も意地の悪いコメディ映画の傑作なのです。
あなたは騙されていませんか?
ジョーカーの策略に、まんまとハマっているかもしれません。
<よく読まれる記事>
ありがとうございました。