こんにちは、くましね薫です。
天皇の系譜シリーズの7回目です。
前回は、なぜ崇神・垂仁天皇は出雲の神を恐れたのかを考察してきました。
今回は、なぜ藤原(中臣)鎌足は「乙巳の変」で蘇我氏を滅ぼしたのか、考えていきたいと思います。
同じ蘇我氏である聖徳太子が亡くなったあと、蘇我氏の横暴が目立つようになり、中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足が蘇我氏のトップである蘇我入鹿を暗殺します。
これにより、中臣鎌足は天智天皇から「藤原」の姓を賜り、権力の頂点に上り詰めます。
これがいわゆる正史の説明です。蘇我氏の独裁政治がこのような政変を生み出してしまった。だから仕方がない。
しかし、これは本当なのでしょうか?
以前私が考察しましたが、現在の天皇は継体天皇からつながる血筋です。
つまり、蘇我氏の系譜なのです。
なっとくの歴史です。
腐敗した政治に革新をもたらした彼らは英雄として、蘇我入鹿は大悪党として描かれます。
しかし、出雲口伝の書である斎木雲州氏著『上宮太子と法隆寺』には衝撃の内容が記されています。
それは、
というものです!
衝撃の事実です。
蘇我家の系図には「入鹿」という人物は見当たらないそうです。そもそも位の高い人物の名前に動物が入ること自体おかしいのだそうです。
そして入鹿の父である「蘇我蝦夷」と祖父の「蘇我馬子」と、これまた動物の名前が入っており、この系図は創作であることがわかります。
つまり乙巳の変とは、藤原氏の権力を正当化するためにでっち上げた創作なのです。蘇我入鹿の悪党ぶりを引き立てるために、同じ蘇我氏の聖徳太子という聖人を作り出し、自分たち藤原氏を英雄に仕立てたのです。
そしてその物語を編纂したのが、『古事記』『日本書紀』のプロデューサーである鎌足の子、藤原不比等なのです。
日本神話は藤原氏の正当性を証明するために改竄されたのです。
そしてもう一つの目的が、天皇から権力を奪うためです。
天皇という最高権威を利用し、いかにして権力を握るか。そのためにはなんとしても天皇の権力を排除しなければなりません。
なので前回考察したように、天皇の血筋である出雲の神の祟りは恐ろしいものだと創作したのです。
そして、天皇が権力を持とうとすると、権力側はそれを必死に阻止しようとします。
南北朝時代の混乱がそうです。後醍醐天皇が三種の神器を持ち出し「吉野朝」を築こうとしますが、北朝勢力は徹底的に阻止します。
大東亜戦争のときもそうです。
藤原氏である近衛文麿は軍部を掻き回し、戦局の泥沼化を引き起こします。
日本でたびたび起きる政治の混乱というのは、天皇から奪った権力が原因なのかもしれません。
そしてこのことがわかると、菅原道真がなぜ太宰府に左遷され、日本三大怨霊と言われるほどの巨大な呪力を持つようになったか理解できます。
なぜなら、彼もまた「出雲王家」の血筋を継ぐものだからです。
次回は菅原道真について考察していきます。
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ありがとうございました😃