クマシネぶろぐ

クマシネとは神に捧げるお米のこと

新地町

富森神社:古代の新地町に出雲族が製鉄を伝えた場所

今回私は福島県新地町の「富倉」という地に行きました。 maps.app.goo.gl なぜかというと、相馬市立図書館にある『口碑福田史』という本に、こんな記述を見つけたからです。 “富倉の神社を富森神社と言う。大昔雑木林の森林が栄へ木炭を製し、製鉄業盛んに行…

子眉嶺神社と新地発電所の関係(古代の聖地が失われていく)

前回は、福島県新地町にある東北最古の馬神信仰の聖地「子眉嶺(こびみね)神社」に行ってきました。 kumashine369.hatenablog.com 子眉嶺神社に伝わる「姫君と名馬」の伝説を読んで、気になったことがあります。 kumashine369.hatenablog.com それは、「姫君…

子眉嶺神社:東北最古の馬神様「相善神」の聖地

ここまで、蝦夷討伐を行なう朝廷軍と馬神信仰の関係について考察してきました。 kumashine369.hatenablog.com 大陸から渡来してきた騎馬民族である「吉弥侯部(きみこべ)氏」は、自分たちの神である「馬神」を進軍と一緒に東北各地へ祀っていきました。 その…

【考察のまとめ】相馬氏が相馬地方を治めた本当の理由は子眉嶺神社にあり

ここまで、相馬地方から東北へ広がった馬神「駒形神」について考察してきました。 今回はそのまとめになります。 福島県相馬市に生まれ育った私は、相馬地方で行われる「馬神信仰」は、相馬氏が初めて持ってきたものだと思っていました。 しかしそれは違いま…

伊達政宗が駒ヶ嶺城へ奇襲をかけた本当の理由を考察する

ここまで、約1500年前に相馬地方に伝わった馬神「駒形神」が、蝦夷討伐と一緒に古代東北各地に普及した様子を考察していきました。 kumashine369.hatenablog.com そして、東北地方に一番最初に創建された馬神の神社が、福島県新地町の「子眉嶺(こびみね)神社…

子眉嶺神社の「馬伝説」の暗号を解読する!

※この画像はイメージです 前回は、福島県の相馬地方に伝わる「馬信仰」は相馬氏がこの地に持って来たのではなく、それ以前にこの地にあったと解説しました。 kumashine369.hatenablog.com そこで今回は、相馬氏以前の馬信仰が行われていた福島県新地町の「子…

相馬地方に「馬信仰」を持ってきたのは誰か?

私が生まれ育った福島県相馬市といえば、真っ先に「相馬野馬追」が思い浮かびます。 相馬野馬追とは元々は鎌倉時代に相馬氏の遠祖である平将門が行った軍事演習で、それが今では夏のお祭りとして現在まで続く、歴史あるお祭りです。 相馬地方では、馬とは神…

なぜ福島県新地町の「手長明神」は「住吉の神」なのか?

↑鹿狼山 前回までは『もののけ姫』の考察を長々としてきましたが、今回は1回目に戻り、福島県新地町の鹿狼山に伝わる「手長明神伝説」について、もう一度考察していきたいと思います。 kumashine369.hatenablog.com 『もののけ姫』の考察をしていった結果、…

『もののけ姫』考察①福島県新地町に伝わる「手長明神伝説」は『もののけ姫』のモデルである!

私が住む福島県相馬地方には、「手長明神」という巨人の伝説があります。 新地町、相馬市、南相馬市原町区にそれぞれ伝説が残り、神社も残っています。 blog.goo.ne.jp maps.app.goo.gl 新地町の手長明神社は現在は存在しませんが、新地町の鹿狼山(かろうさ…