おはようございます。
くましね薫です。
今回は縄文時代考察の4回目です。
以前からスピリチュアル業界では、
縄文時代=中今の思想
と言われています。
そこで説明されるのは、「中今」とは「今を認識すること」という思想です。
人の悩みのほとんどは、来るかわからない未来のことや、過ぎ去ってどこにも存在しない過去のことばかりです。そんなものに脳のエネルギーを消費するのは無駄です。そうではなく、目の前の「今」に集中しましょう、という内容です。
しかしこの思想はなんだか「禅」の思想が強く入ってそうで、純粋に縄文人の思想なのか疑ってしまいます。
そもそも「今に集中する」なら「今」で充分です。なぜ「中」が付いてくるのでしょうか。
そんな疑問を解決してくれるのが、吉野裕子氏の著書である『日本古代呪術』にあります。
古代日本人は、太陽が東から出て西へ沈むのを見て、命も東から生まれ西で死んでいくと考えるようになりました。
太陽が常に西へ向かうように、命も常に「死」へと向かっています。しかも、常に「死」と隣り合わせの縄文人にとっては切実な問題です。
死へと向かう命をなんとか今の状態で、中央に留めることはできないか。そのために生まれた呪術が「中今」です。
考察1回目で、世界の中心は「母親のお腹の中」にあると述べました。
それも「中今」の呪術の世界観なのです。
種をもつ男と、種を受け止める女が混じり合う「性交」も、古代では呪術の儀式でした。命と魂を「中今」に宿すのです。
女性が妊娠し出産する際、「産屋」を建てます。産屋も母のお腹を表す呪具で、世界は何重にも母親のお腹に覆われていることを表しています。
産屋で生まれた赤ん坊は、今度は「家」で暮らします。
成長するごとに、母親のお腹を表す呪具は大きくなっていきます。これも、命を「中今」に取り込むための儀式です。
その行為は、蛇が脱皮するのに似ています。ここからも古代の人々が蛇神を祀ったことがわかります。
古代の人々にとって、儀式はとても重要でした。
日の出とともに太陽を拝み、夜になると月や星を拝みます。
それは現在にも受け継がれ、夏至や冬至、盆や正月、七五三があるのはそのためです。
過ぎゆく時の流れを少しでも真ん中に、今の状態を留めるための呪術。それが「中今」です。
現在私たちも「今」を保存したいために、カメラを使って写真や動画にしますが、古代人縄文人も同じ気持ちだったのでしょう。
変わりゆく季節のなかで人は成長し、ある時点から老いていきます。
死に向かっているからこそ、少しでも命を真ん中に寄せなければならない。
そのなかで生命の今を保存する呪術。それが「中今」なのです。
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