こんにちは。くましね薫です。
前回の記事では、第126代にあたる今上陛下は、100代目の天皇かもしれないと述べました。
これが本当だとすると、初代神武天皇から25代武烈天皇までは別の王朝だということになります。
しかし、表向きの歴史だと天皇は「万世一系」ということになっています。
これについては、懐疑的な意見もあります。
よく歴史学者の中にも、
「神武天皇と崇神天皇は同一人物で、欠史8代とされる2代綏靖(すいぜい)天皇から9代開化天皇までは存在しない」
とされていたり、
などさまざまな議論がされています。
そうなると私も混乱してしまいますので、今回私は出雲王家で継承されてきた「出雲口伝」の本を基に考えていきたいと思います。
↓出雲口伝の本を出版されている出版社『大元出版』
出雲口伝では、初代の大君(天皇)は、海部氏の「海村雲(アメノムラクモ)」だと記されています。
海村雲が初代神武天皇のモデルとなった人物だというのです。しかも海村雲は、海部氏の人間です。天孫族ではありません。
海部氏とは、秦からやってきた徐福と、出雲王家の郷戸家の娘である高照姫の間に生まれた五十猛(イソタケル)から始まる氏族です。
つまり日本の初代大君は、中国からやってきた徐福からの家系ということです。
よく「天皇は渡来人」と言われますが、出雲口伝でもはっきりと述べています。
日本の最初の天皇は海部王朝です。海村雲から続く血筋が9代まで続きます。
そして10代の崇神天皇です。
ここから王朝が変わります。
10代目からは、物部王朝が誕生します。
実は物部氏もまた、徐福から続く氏族です。
徐福は2度目の渡来のとき、九州に上陸します。
そして北九州の豪族である宗像家の市杵島姫と結婚し、彦火火出見と穂屋姫が生まれます。
ちなみに穂屋姫と五十猛の間に生まれたのが海村雲です。
ということは、五十猛は腹違いの妹と結婚したことになり、海部氏は徐福の血がめちゃくちゃ濃いことになります。
古代日本は徐福の國なのかもしれません。
だから徐福由来の神様が多いのです。
その物部氏から物部印恵(イニエ)大君が誕生し、ヤマトへ東征を開始します。彼が10代目崇神天皇です。そして息子の生目(イキメ)王君が海部王朝からヤマトを奪います。生目大君が第11代垂仁天皇になります。
こうして次の王朝である物部王朝が誕生しました。
これだけでも、正史とかなり異なります。
「万世一系」の物語が崩れてしまいました。
ただこれが真実だとすれば、日本は中国の一部になるということになるので、古事記・日本書紀を作った藤原不比等は、史実を改ざんすることを選んだのだと思います。
これはあくまで出雲口伝を元にした考察です。
沖縄には、琉球から神武天皇率いる天孫族が北上する口伝が残っています。
第七十三世武内宿禰である武内睦泰先生は、神武天皇は存在するとおっしゃっていますので、やはり一筋縄ではいかないようです。
なので、あくまでたくさんある説のひとつとして理解ください。
では次回は、特に重大な天皇である「応神天皇」について考察していきます。
お楽しみに!
↓次回
<参考文献>
斎木雲州著『出雲と蘇我王国』
富士林雅樹著『出雲王国とヤマト政権』
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