今回は『君たちはどう生きるか』の番外編的な考察です。
昨日の朝、嬉しいニュースが飛び込んできました。
宮﨑駿監督作品『君たちはどう生きるか』がアカデミー賞長編アニメーション部門を受賞したというニュースです。
私もこの作品が大好きなので、心の底から喜びました。
そしてお昼のワイドショー番組『ゴゴスマ』でこのニュースを確認しました。
しかし、この番組を見てなんだか嫌な気持ちになりました。
それは番組出演者ほぼ全員が、
「内容はよくわからないが映像はすごい」
という感想ばかりでした。
ああそうか。これは日本国民の総意なのか。
私は改めて、『君たちはどう生きるか』が日本国内では正当に評価されていないことに気付かされました。
私はこのブログで11回かけてこの作品について考察しました。もちろん私の考察が正しいとは言いませんが、「よくわからない」と切り捨てることができない作品なはずです。
ではなぜ『君たちはどう生きるか』は海外で絶賛されるのでしょうか?
それは昨日の会見での鈴木敏夫プロデューサーの言葉です。
「ある種、旧約聖書。公開中、言わないようにしてきたんですけど(物語の)最後の方は…宮崎駿の『黙示録』だと思った。それが、受け入れやすかったのではないか?」
そうです。『旧約聖書』、つまり神話をベースに創作されているということです。
私もさんざんこの作品と日本神話を紐つけながら考察していきました。
欧米の物語は、聖書や神話をベースに描かれていることが多くあります。
その神話の法則を体系化した本がジョーゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』です。この本をベースにジョージ・ルーカスは『スターウォーズ』を執筆したことは有名です。
特にアメリカは歴史が浅いぶん、物語の構成を聖書から導きます。その物語のほとんどは「通過儀礼」です。彼らはイギリスから独立した国です。巨大な父を倒したという歴史を持ち、常に権力と戦う意志を持たないといけない国民性です。だから彼らは銃を所持する権利を主張します。
そしてその物語で国民を束ねなければなりません。
そのために神話や聖書を土台とした、共通の物語を欲しているのです。
『君たちはどう生きるか』も「通過儀礼」の物語です。
理不尽な「不思議の国」へ降り立ち、母を救うことで成長する物語は、非常に神話的です。この部分が海外の人たちに刺さったのでしょう。
例え難解な物語でも、そのヒントが神話や聖書に隠されているわかっているのだと思います。
だから日本人のように「よくわからない」と投げ出すのではなく、彼らは隠された神話的な意味を読み解くのです。
では、なぜ日本人長い歴史を持つのに神話を知らないのでしょうか?
そもそも日本神話である『古事記』『日本書紀』は、江戸時代後期に本居宣長が解読するまでほとんど人々に知られてなかったからです。
しかも戦時中は皇国主義に利用された歴史があり、史実としても価値が乏しいとして、戦後の日本史では無視される存在です。
それに日本神話は藤原不比等が、藤原氏が権力を牛耳る目的で作られたので、都合が悪い事実は消されています。
そして神話を知らなくても、不思議と共同体を維持でき、ここまでやってきたのが日本人です。
このように、日本人は歴史が長い民族のくせに、神話との距離が非常に離れている国民なのです。
だから今までは仕方がなかったのですが、この混迷する現在。
いよいよ本当の歴史を奪い返さなければならない時期に来ているのです。
そのきっかけが『君たちはどう生きるか』であり、他の宮崎駿作品なのです。
アカデミー賞受賞を受けて、また『君たちはどう生きるか』が映画館で上映されています。
みなさまも私のブログをきっかけに『君たちはどう生きるか』を読み解いてください。
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