こんにちは。くましね薫です。
前回は、天照大神の性別は何か、考察しました。
天照大神以前の太陽神は、サルタヒコやニギハヤヒなど男性神でした。
その男性神から女性神の太陽神への交代劇が、「天岩戸開き」の神話なのです。
アメノウズメも驚いたでしょう。
せっかく胸やホト(女陰)を晒して男性神を誘い出したのに、出てきたのは女性神なのですから。
それでは、この女性太陽神である天照大神という神様はいったい何者なのでしょうか?
その正体は、第41代天皇で女性天皇の持統天皇です(在位690〜697)。
現在の天皇は、持統天皇からはじまったと言っても過言ではないのです。
「天皇」とは7世紀の唐の女帝「武則天」が作った称号です。彼女は50年に渡り唐を治めた女傑です。そんな彼女は自らを「天皇」「天后」と名乗ります。持統天皇は彼女に憧れがあったのでしょう。その称号を拝借し、自らの称号にしました。
それ以前の支配者は「大王(おおきみ)」でした。それが持統天皇の登場により「天皇」に変わりました。
そして持統天皇は「日本」という国号を初めて使った天皇だと言われています。
しかも、天照大神が祀られている伊勢神宮の式年遷宮を初めて行った天皇でもあります。
現在の国体に関わる出来事は持統天皇から始まっているのです。
ちなみに中国の言葉に「継体持統」という熟語があります。これは国を継ぎ血統をつなぐという意味です。
私は以前、現在の天皇の血統は「継体天皇」からの血筋であると考察しました。
その血筋を継いで、現在の天皇の流れを作ったのが持統天皇だということになります。
この名前をつけた淡海三船は、このことを知って名付けたのでしょう。
そして持統天皇の別名です。その名前が、
たかまのはらひろのひめのすめらみこと
なのです!
その場所が名前に入っているということは、彼女こそ天照大神であると言っているようなものです!
天照大神は、葦原中国(あしはらのなかつくに)の統治を、息子のオシホミミではなく、孫のニニギに任せます。だから、天孫降臨と言うのです。
これは持統天皇も同じです。
持統天皇は天皇の座位を、病弱な息子の草壁皇子にではなく、孫の文武天皇に譲ります。
ニニギの天孫降臨の原点はここからきているのです。
持統天皇の時代とは、日本の歴史書が編纂されていた時期です(『古事記』は712年、『日本書紀』は720年に完成)。
この歴史書をプロデュースしたのが、藤原不比等です。藤原不比等と父の藤原鎌足は、持統天皇の教育係であり側近でした。
藤原不比等は、自分が側近を務め、輝かしい実績を残した持統天皇の御威光の力を借りようとします。
それが日本神話に登場する、女性神である太陽神・天照大神の誕生なのです!
次回、考察していきます。
以上は私の仮説です。
あくまでエンタメとしてお楽しみください。
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ありがとうございました。