おはようございます。くましね薫です。
前回は、歴史から消された女性祭祀王について考察しました。
この女性祭祀王について深く考察する前に、まずは縄文時代の人々はどういった世界観で暮らしていたのかを知らなければなりません。
現在、縄文時代が大変注目されています。
3万年以上も続いた時代で、争いもなく平和な時代だったと言われ、競争社会に生きる私たちにとって楽園のような世界に思えます。
ただ、なぜ縄文時代は平和だったのか、その理由を知る人があまりいないと思います。
その理由とは、縄文時代の世界の中心が「母親のお腹の中」にあったからです。
古代の人々は、死んだ者の魂は生まれ変わるという死生観を持っていました。
いわゆる輪廻転生です。
生と死のサイクルをぐるぐると回っています。
しかし、ぐるぐる回っているだけでは命は生まれません。
母親のお腹の中に命が宿らないと生まれこれません。
女性だけが命を生み出すことができません。
つまり、母親のお腹を中心にして、魂はぐるぐる回っているのです。
この神秘を縄文の人々は神聖なものとして、女性の腹(ハラ)を崇めました。
そして人類がまだ「洞窟」に住んでいたときです。
人々は洞窟を女性のお腹の中に見立てました。
男たちは、食料や道具など調達するために洞窟を出て、また洞窟へ戻ってきます。
それは自分たちが生死のサイクルを疑似体験しているようで、夜に洞窟の中で眠るということは、母親のお腹の中に還ることを意味しています。
古代の人々は、そうやって安心と癒しを得ていました。
なので「洞穴」の「洞」は「ホラ」と呼ぶようになります。
やがて人類は「家」を作ります。
家もまた、女性のお腹の代わりです。
家族とは、母親のお腹の中で暮らすことであり、母親が世界観の中心です。
つまり、家とは母親が仕掛けた呪具でもあるのです。人々は母親が仕掛けた結界の中で暮らしているのです。それを家族全員が望んでいるのです。
父親のことを「一家の大黒柱」と言いますが、これは父親が偉いと言っているわけではありません。父親は、母親のお腹の中を支えているだけです。主導権を握っているのは母親です。
その世界観の規模は、どんどん拡大していきます。
それが村になり、都になり、国になります。
縄文の世界は、常に母親のお腹の中にあるのです。
外の世界に行ったとしても、必ず還る場所がある。
その安心感が、縄文人の平和思想を築いたのかもしれません。
そして人生の最期です。
人は死んだとき、遺体は「墓(ハカ)」へ埋葬されます。
お墓もまた、母親のお腹の中です。
縄文時代の集落では、お墓を中心に家々があったそうです。
母親の中心で埋葬された死者の魂は、また再び母親のお腹の中に帰ってくるのです。
この世界観は、現在でも神社によって受け継がれています。
神社の鳥居は「女陰」をあらわし、参道は「産道」です。
その先には「お宮」があります。なぜ子どもが宿る場所を「子宮」と呼ぶのか、これで分かりますよね。
その神社で唱えられる「大祓祝詞」。そこに登場するのは謎の女神「瀬織津姫」。
Dragon de feu <3 | Dragon pictures, Dragon images, Dragon artwork
瀬織津姫こそが隠された女性祭祀王のひとりであり、この世界の中心なのです。
(ただその神社も、今では古代の祭祀王を封印する場となっています。詳細はまた後日論じます)
古代の人々は、このような世界観を持っていたからこそ、自然と女性祭祀王が中心となり、力をつけていったのだと思われます。
それは、人々が安心と癒しを求めた結果です。
母親のお腹の中という世界。
だから縄文人は争わず、共生して行ったのです。
これこそが、縄文時代が平和だった理由です。
では次回は、その女性祭祀王が祀っていた「蛇神」について考察していきます。
お楽しみに!
<参考文献>
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