こんにちは。くましね薫です。
縄文時代考察の2回目です。
前回は、縄文時代の人々の世界観である「世界の中心は母親のお腹の中」と言う考察をしました。
母親のお腹の中とは、生と死を循環する魂が宿る場所で、とても神聖な場所です。
そして、この輪廻転生の象徴として縄文時代に崇(あが)められていたのが「蛇神」です。
蛇が神様だったというのは、現代の私たちからすると想像が難しいです。
もちろん縄文人も、毒蛇に対して恐怖を持っていました。なので、蛇神は「畏怖」の対象でした。
しかし、それだけではありません。
蛇が脱皮を繰り返して成長する姿は、縄文人にとっては生と死を繰り返しているように見えました。そのことから次第に、蛇とは輪廻転生の象徴となり、神として崇められました。
諏訪大社のもともとのご祭神は「ミシャクジ」という蛇神でした。
出雲口伝によると、古代出雲国も蛇神信仰をしていたそうです。これは、出雲族の祖先であるインドのドラヴィダ族のものです。
インドではコブラを「ナーガ」という蛇神として崇めていました。
つまり、古代では世界各地で蛇神を信仰していたのです。
そして、ヤマカカシの「カカ」、龍蛇神アラハバキの「ハバ(ハハ)」は、どちらも蛇の古語で、「母」を連想させます。
そしてツチノコやカグツチの「ツチ」もまた蛇の古語で、「大地」を連想させます。
シュメール神話に登場する神エンリルとエンキの母である大地母神「キ」は、赤い蛇の姿をしています。
「母なる大地」とは、縄文人にとっては蛇神だったのです。
その蛇神は「豊穣の神」としても崇められます。
五穀豊穣の神である稲荷神社の「ウカノミタマ」は、元は蛇神だったと言われるのはそのためです。
「縄文時代は狩猟文化で農耕はしてないんじゃないの?」と疑問に思われるかと思いますが、実は縄文時代にすでに農耕が始まっていたことが確認されています。大規模な農耕が始まったのが弥生時代で、縄文時代はまだ小規模だったそうです。
むしろ、縄文時代は神に捧げるお供え物としての役割が大きかったと思われます。
なので、お供え物を入れる縄文土器が、独特の紋様をしていたのはそのためです。宗教的意味も兼ねていたのでしょう。
大地の神が女神なら、大地を照らし、天から雨や雷をふらすのは男神です。(※1)
特に、恵の雨が降らないのは、穀物の成長に関わります。
なので、雨を司る男の蛇神と交信するために、女性祭祀である巫女が現れます(巫女の「み」はヘビの「巳」も意味してるかもしれません)。
画像引用元ーhttps://www.pixivision.net/ja/a/2996
巫女たちはあるときは言霊を発し、舞い踊り、あるときは火に向かって念じ、あるときは川上で機を織り(瀬織津姫)、蛇神を誘い、交わることで神託を得ます。
その姿は、蛇神と「交尾」をしているようです。
神社のしめ縄は、この様子を表しているのかもしれません。
このように縄文人は蛇神を、ときに畏れ、ときに崇め祀りました。
彼らは土器や鏡や銅鐸に蛇を描きました。
しかし、弥生時代になると、次第に蛇の姿は見られなくなります。
その理由は、仏教や旧約聖書が蛇を邪神扱いし出したからです。
その信仰が渡来人によって日本に流入します。
そして、中国で生まれた龍神に、その役割を奪われます。
西洋神話に登場する蛇の髪の毛を持つ「メデューサ」や日本の妖怪「蛇女」も、古代の蛇神信仰を闇に葬るためでしょう。
(そういえば「邪神ちゃん」も、下半身が蛇の神様でした)
このように、古代信仰されていた蛇は、現在ではただただ忌み嫌われる存在となってしまいました。
そんな私も、蛇はとても怖いです。住んでいる場所が田舎なのでよく蛇に出会いますが、毎回驚いて動けなくなります(そして蛇もそそくさと逃げていきます)。
そもそも私たちの遺伝子には、ご先祖さまがネズミだったときの「蛇は恐ろしい」という記憶が刻まれているそうで、怖がるのは仕方がありません。
しかし、近々物質文明が終焉を迎え、精神世界へ還ろうとするとき、古代の信仰を知っておくべきだと思います。
蛇は怖いので、無理に信仰しなくてもいいですが、頭の片隅に置いててください。私たちを助けてくれる存在になるかもしれません。
では次回も縄文時代を考察していきます。
お楽しみに!
(※1)この部分は、私の直感で書いています。参考文献はありません。話半分で読んでください。
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ありがとうございました。