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『哀れなるものたち』考察:魂の純粋性について

神について考えるときがあります。ユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でもない私が、創造主はなぜ人間を作りたもうたのか、考えるときがあります。

そういうときは大抵、メンタルが弱り、自分は不幸な存在だとネガティブ思考に陥っているときです。

 

そんなときに、たまたまディズニープラスで鑑賞した『哀れなるものたち』が、そのヒントを示してくれます。

哀れなるものたち|映画/ブルーレイ・デジタル配信|20世紀スタジオ公式


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今年のアカデミー賞エマ・ストーン主演女優賞を受賞した話題作です。

アラスター・グレイの同盟小説を映画化したこの作品。

登場人物の生活様式から、舞台は19世紀のイギリスのようだけど、妙に科学が発展していて、不思議なSFファンタジーです。その世界観を、魚眼レンズを多様し、白黒とカラーが交差する画面で、どこまでが現実なのかわからない歪んだ世界を描き、エマ・ストーンの魂を削った演技が見事の傑作になっています。

 

※以下、ネタバレあり

 

 

 

 

 

橋の上から飛び降り自殺した女性の死体を発見した外科医のバクスターは、死体がまだ死んで間もないことを良いことに、すぐさま解剖を行います。“新鮮な”死体は珍しかったからです。しかしこの死体はお腹が大きく、調べると妊娠していました。そこでバクスターは、胎児の脳を母親の頭の中に移植し、電気ショックを与え、見事蘇生に成功します。

 

バクスターは彼女を「ベラ」と名付け、ベラに自分のことを「ゴッド」と呼ばせます。

ベラは見た目は成人の女性ですが、頭脳は乳児です。言葉もままならないし、感情で行動します。

まるでフランケンシュタインのような設定です。

そこでバクスターは教え子のマックスを家に呼び、ベラを観察・記録し、同時に教育するように指示します。

ベラの知性は急速に発達します。そして自我が芽生え、ベラは外に出たいと懇願しますが、バクスターは断固として許しません。ベラの下界への憧れは増すばかりです。

そこでバクスターはマックスに、ベラと結婚するよう頼み、マックスもそれに承諾します。

それと同時に、ベラが性に目覚めてしまうのです。

そんなベラの前に現れるのが、バクスターの弁護士であるダンカンです。

 

ダンカンはベラに「冒険へ出よう」と持ちかけます。

ベラはその提案に乗ります。後日、バクスターの制止を振り切り、家を出て、ダンカンと共にクルーズ船に乗り込みます。

 

彼らは初め、性行為に耽りますが、あまりにも自由な彼女に、マックスはどんどん縛りつけようとします。しかしベラは、外の世界への興味から、マックスの束縛をかわし、外の世界に触れていきます。そして船内にいた貴婦人から、文学と哲学を学びます。彼女が見ていた単純な世界が、どんどん複雑化していきます。

そんなベラは船内にいた紳士に連れられて、エジプトのアレクサンドリアの貧困街を目にします。そこにいたのは大勢の飢餓で苦しんでいる人々と、死んでいく赤ん坊です。その光景を目にしたベラはショックで泣き叫びます。

そしてベラは、彼らを助けようとマックスの全財産を勝手に持ち出し、船員にそのお金を渡してしまいます(その後お金はどうなったか描かれません)。それを知ったマックスは激怒します。しかも、全財産を失ったマックスとベラは、パリでフェリーから降ろされます。

 

一文無しでパリで過ごすことになったベラは、何も知らずに売春宿に入り、オーナーに「お金が欲しい」と頼み込みます。そして彼女は売春でお金を稼ぎます。それを知ったマックスはまた激怒し、「汚らしい女め!」と吐き捨ててベラから去っていきます。

 

 

登場する男たちは、ベラを自分のものにしようとします。

なぜなら男は、純粋な存在を“所有”し束縛したいという欲求があるからです。いつまでも純粋なままでいてほしい。そしていつまでも自分の支配下におきたい。

しかし、その純粋である存在は、ずっと同じではありません。常に変化していきます。そして純粋であるがゆえに自由を求めます。

そんな変化していく姿をみて、男たちは「汚れた」と烙印を押していきます。

 

売春婦として生きていくベラに対して、周囲は「売女」と罵ります。しかしそいつらは社会的に立派な人たちですが、裏の顔は変態サイコパスです。社会を渡り歩くために純粋性を捨てた野蛮人なのです。

 

ベラは驚くほど純粋です。だからなんでも吸収します。しかしそれは「たくさん傷つく」ことでもあります。

 

純粋な人ほど、自由を求めると「傷つき、汚れ」ていきます。純粋な人ほど、社会では馬鹿にされ、罵られます。

しかし、純粋な人ほど気づいています。大事なのは、傷つき、汚れても、それでも「汚れないもの」が自分にはあると。

 

実はエマ・ストーンは2010年の初主演作『小悪魔はなぜモテる?』(原題:easy A)でも同じテーマの役を演じています。

www.sonypictures.jp

エマ演じる地味な高校生オリーブは、いじめられている同級生の男子に、「君とセックスしたことにしてくれ」と頼まれます。もちろん性行為はしてないのですが、優しい彼女は承諾してしまいます。その男子はそのことをみんなに言いふらし、彼へのいじめはなくなるのですが、当然その噂は学校中に拡まります。それを聞きつけた学校中のいじめられっ子がオリーブのところへやってきて、同じ頼みごとをしてきます。オリーブはすべて承諾するのですが、彼女は全校生徒から「アバズレ」と言われ、キリスト教保守派の学生から弾圧されます。しかし彼女はホーソーンの小説『緋文字』の主人公のように、胸に“A”と書かれたTシャツを着て周囲と戦います。

 

ここでもエマは、自ら傷つき汚れていきながら(本当は汚れてないけど)、真実に近づこうとする女性を演じています。

『哀れなるものたち』は、この“easy A”の進化版のようです。

 

人はどうしても安定を求め、間違いを犯さないように生きようとします。傷つきたくないし、清廉潔白な人間でいたいと思っています。しかしそれでは成長しないですし、本当の自分に出会うこともありません。

 

よく「自己成長」と称して、さまざまな習い事や資格を取ったりする人がいますが、いちばん手っ取り早い成長は、自分のテリトリーから離れて、失敗し、傷つくことです

自分の知らない世界にふれ、ショックを受けることです。

その衝撃の奥にある、自分の「純粋性」に気づけるかどうかが重要なのです。

 

もし創造主である神が存在するなら、なぜ神は私たちに試練を与えるのでしょうか。

それは自分の奥の奥に眠っている、魂の「純粋性」に気づくためではないでしょうか。

これがプラトンが言った「イデア」であり、カントが言った「アプリオリ」なのかもしれません(そんなことを言うとニーチェに否定されそうですが)。

 

ネガティブな物事や感情は、そのきっかけでしかありません。

困難な出来事や悲しい結末は、魂の研磨であり、自分を見つめ直すチャンスなのです。

いつまでも落ち込んでいる暇はありません。

 

ベラは傷つき成長しますが、純粋性は失いません。

私たちが目標にすべき生き方です。

 

『哀れなるものたち』はその大事なことをユーモアたっぷりに教えてくれる傑作なのです。

 

 

 

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ありがとうございました。