神在月 出雲大社 |「縁結び」の地、出雲に八百万の神々が集まる! 第2回 |「大国主大神はどんな神様?」 - 石の音ブログ
こんにちは。
くましね薫です。
以前考察した「天皇の系譜」シリーズの続編です。
この考察では、天皇は「万世一系」ではないという仮説を立てました。
現在の天皇は第26代継体天皇から始まる「蘇我氏」の系譜です。
そして継体天皇は「出雲王家」の「富家」から蘇我氏に婿入りしました。
つまり現在の天皇家は、出雲王家の血筋ということになります。
日本で最初の王国である出雲王国。その血筋が現在も脈々と受け継がれています。
もしこの仮説が本当であるなら、崇神天皇が出雲神「大物主」の祟りを恐れていた理由がわかります。
大物主とは非常に謎の多い神様です。しかし別名「意富美和之大神(オオミワノオオカミ)」と「富」の字があるように、出雲王家の富家に繋がりのある神であることがわかります。
そして以前考察しましたが、第10代崇神天皇は物部氏の大王です。倭国大乱で勢力が弱まっていた海部王朝を倒すため九州から東征し、ヤマトを統治します。
その崇神天皇にはこんな逸話があります。
崇神天皇は即位4年目に「万世一系」を謳いますが、翌年に謎の疫病が大流行し、人口が半分になってしまいます。これを治めるために即位6年に天照大神と倭大国魂神を橿原神社に祀ります。しかし、疫病はいっこうに治りません。
即位7年、崇神天皇はその原因を突き止めようと八百万神を集め占います。すると百襲(モモソ)姫に大物主が乗り移り、自分を祀るように宣託します。さっそく崇神天皇は祭祀を行いますが霊験がありません。そこで天皇は沐浴斎戒し宮殿を清め、「夢の中で神恩を示しください」と祈ります。するとその晩に大物主は天皇の夢枕に立ち、「我が子の大田田根子(オオタタネコ)に祀らせればたちどころ世は平安となる」と告げます。しかも同じ夢を3人も見ていたので、天皇はその夢が本当であると確信し、大田田根子(意富多多泥古)を探し出します。そして尾張国で大田田根子を発見し、三輪山に祀ります。これが大神神社の成り立ちです。そして、無事疫病が治り、五穀豊穣の世になりました。
他に、第11代垂仁天皇のご子息である誉津別命(ほむつわけのみこと)の逸話があります。
誉津別命は、ヒゲが胸まで伸びるような歳になっても言葉を喋ることができず、垂仁天皇は心配していました。あるとき天皇の夢枕に何者かが立ち、「我が宮を天皇の宮のごとく造り直したなら、皇子はしゃべれるようになるだろう」と告げました。天皇は太占(フトマニ)でその神が何者か占うと、出雲の大神であることがわかり、家臣と共に誉津別命を出雲へ遣わせ大神へ拝したところ、誉津別命は言葉を話すことができました。
このように、崇神・垂仁天皇は出雲の神の祟りに苦しめられます。
なぜこのような祟りに襲われたかというと、崇神・垂仁天皇は物部氏だからです。
しかも、垂仁天皇は東征の際に出雲国を滅ぼし、多くの出雲族を死に追いやっています。この出雲族の神の怨念が、この天皇たちを苦しめたのです。
しかし、出雲口伝では崇神天皇は東征前に九州で崩御されています。なのでこの逸話は藤原不比等の創作である可能性があります。
なぜ藤原不比等はわざわざこの逸話を記紀に記したのでしょうか。
それは、作家の井沢元彦さんが唱える、日本を支配している「怨霊信仰」がそうさせたのだと思います。
出雲の神の祟りを治めるために、神話の世界で鎮魂したのでしょう。
藤原氏も出雲の神を恐れていたのです。
ですが、継体天皇の血筋は出雲王家の血筋のはずです。
なぜ天皇の家臣である藤原氏が、出雲の神を恐れるのでしょうか?
それは藤原氏の始祖・藤原(中臣)鎌足が起こした「乙巳の変」に隠されています。
では次回、なぜ藤原鎌足は乙巳の変を起こしたの、考察していきます。
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