現在公開中の島田陽磨監督作『生きて、生きて、生きろ。』。
福島県相馬市に本拠地を置く「メンタルクリニックなごみ」と「相馬広域こころのケアセンターなごみ」の活動を追ったドキュメンタリー映画で、東日本大震災後の福島県相双地方の精神疾患の実態に迫ります。
私は昨日、福島フォーラムで鑑賞してきました。
相馬市に住んでいる私にとって、地元がドキュメンタリー映画の舞台となり、スクリーンに知人が映し出されるのはなんだか不思議な感覚です。
実は私の前職である介護職で、メンタルクリニックなごみの院長でこの映画の主演である蟻塚亮一先生には大変お世話になりました。
私は主に老人介護をしていたのですが、精神障害者の方とも交流がありました。しかし、第三者の視点で描かれると、私でも気づかなかった新たな発見がたくさんあり、地元の別な一面が垣間見れます。
そんな私もうつ病で前職を辞め、現在も心療内科に通院しているので、他人事ではありません。
蟻塚先生は、相双地方は精神疾患になる人が他の地域より多いと、劇中で語ります。なぜなら、市民たちは震災の辛い記憶を封印してしまっているからです。
そのことは私自身、強く同意します。
私は震災当時、東京に住んでいたのですが、故郷の惨状をニュースやネットで見たり、親族や同級生が亡くなったと聞くたびに涙が止まらず、精神不安定な状況が続きました。実際に津波の現場を目にして、さらに傷は広がっていきました。しかし震災のことを知人に話すと「その話やめて」と拒否されます。建前では「がんばろう日本」というくせに、本音では「どうでもいい」と思っていることにショックを受け、この話は他人に話すべきではないと、心に蓋をしていました。
実際被災地で暮らすと、震災の話をすることはほとんどありません。それは、あのようなつらい出来事を思い出したくないという想いが強いのでしょう。
多くの人が忘れたいと思っている。だけれど、忘れられないし、忘れちゃいけないとも強く思っている矛盾。
その葛藤が、劇中に登場する傷ついた人たちの姿です。
彼ら彼女らとは、相馬市・南相馬市の街中では出会いません。なぜならみんな、これ以上傷つきたくないから奥底に隠しているのです。
しかも、コロナ禍だけでも精神がまいっているのに、追い打ちをかけるように相馬市に大きな地震が2度も襲います。
もう相馬市民は限界なのかもしれません。
被災地のど真ん中にいると、そのことが認識しにくいのです。だから、蟻塚先生の言葉にハッとさせられます。
私たちは、震災の記憶をどうすればいいかわからず、ここまできてしまいました。
それは震災だけではありません。もしかすると、江戸時代後期の「天明の大飢饉」の恐怖も私たちの遺伝子に記録されているかもしれませんし、もっとさかのぼれば「蝦夷討伐」までいくのかもしれません。
この「不幸の記憶」が無意識に私たちを苦しめ、それが何世代にもわたって受け継がれている。
相双地方の人々を苦しめているものの原因は、これかもしれません。
特に双葉地方は非常に貧しい地域でした。
塩田しか主な産業はなく、戊辰戦争の時は戦場となり焼け野原になり、戦時中は特攻隊の訓練場になり、米軍による大規模空襲が行われます。
しかし私は、元々はこの双葉地方は古代の聖地であると考察しました。相馬地方もそうです。この土地に隠された歴史も解き明かさなければなりません。
私たちの苦しみは、震災に始まったわけではありません。
東北の歴史は、権力から虐げられてきた歴史でもあります。
その悲しみの連鎖が脈々と現在まで続いているのです。
その原因を突き止めなければ、今後もずっと相双地方は不幸な土地になってしまいます。
この作品では、そんな不幸な土地でもがき苦しむ人たちの姿が映し出されます。しかし、苦しい姿だけではありません。その中にどうにか希望を見出そうと「なごみ」のスタッフは奮闘します。
そしてラスト。エンドクレジットが終わった後に映し出される光景に、心が震えました。
これ以上ない、希望に満ちた結末に、私たちも救われるのです。
そして最後の最後に、スクリーンにはタイトルが浮かび上がります。
生きて、生きて、生きろ。
すべてはこの言葉に集約されるのです。
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