前回は、福島県浜通りは稲作の伝来により衰退していったと考察していきました。
私は福島県相馬市に生まれ育ちました。相馬地方は非常に歴史が長い地方と教わってきました。その理由は、相馬氏がこの地を治めて約700年という長さがあるからです。ひとつの大名がこんなにも長くひとつの地を治めるのは珍しいそうです。
なので、相馬地方は「歴史の町」であると誇ります。
しかし、それは本当なのでしょうか?
この歴史は、言ってしまえば支配者の歴史です。しかも、相馬氏以前の歴史はこの地ではほとんど語られません。
なぜでしょうか?
私は相双地域(相馬地方と双葉地方を合わせた総称)の歴史を学ぶために先人たちの文献を調べるのですが、みな一同にこう記します。
「この地域は伝承が途絶えていて、歴史を調べるのが大変だ」と。
それは、前回の記事でも述べましたが、この地域は何度も飢饉に襲われ、その度に大量の餓死者が出てしまい、伝承が途絶えていくのです。
特に天明の大飢饉の際は人口の三分の一が餓死してしまいます。あまりの惨状に藩外に逃亡するものも後をたたなかったそうです。
そのため相馬中村藩が行なった政策が、移民の受け入れです。特に加賀藩(富山県)からの移民を大量に受け入れました。
私も自身の家系を調査したところ、父方母方4系統のうち、2系統が加賀藩からの移民でした。
実は自分の中に移民の血が入っていることに驚き、とても身近なことだったと気づきました。
これら移民の人々は、かなりの人数がこの地へ来ています。
しかも相双地域にきてまだ200年ほどです。
これでは伝承が絶たれてもおかしくありません。
昔の相双地域は冷害が多く、農業には向かない地域。
文献にはないですが、同じことが何度もこの地域で繰り返されたと想像できます。
相双地方には殿様の歴史はあっても、庶民の歴史などないのです。それを隠すために殿様の歴史に誇りを持っているだけです。
相馬野馬追を見ても、騎馬武者と市民の温度差が激しいのがわかります。相双地方に庶民が参加するお祭りが少ないのは、そう言った歴史背景があるからだと考えます。(私個人としては相馬野馬追好きです。毎年お行列楽しんでいます)
相双地方は古代の聖地でした。それを封印するためにヤマト朝廷はこの地に強力な呪いを仕掛けました。
その呪いは現在も力を発揮しています。
特に福島第一原発がある双葉郡は、今まさに歴史や伝承が絶たれようとしています。
復興などと言っていますが、現状を見ると人々が帰ってくるとは到底思えません。
そもそもがかなり過疎化していた地域です。産業が無いために原発を誘致したほどです。そのような場所で本当に復興できるのか。私はとても悲観しています。
この地では断絶の歴史が繰り返すのです。何度も何度も繰り返すのです。
この地にかけられた呪いはいつ解けるのでしょうか?
私はその糸口を探していきます。
以上の考察は私個人の見解です。
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