こんにちは。くましね薫です。
天皇の系譜の8回目です。
前回は、なぜ藤原鎌足が蘇我氏を滅ぼしたかについて考察していきました。
現在の天皇は継体天皇から続く系譜です。継体天皇は、出雲王家の富家から蘇我家に婿入りしました。
つまり、出雲王家の血を継ぎながら蘇我家の家柄を継ぐ者です。
そんな天皇の側近に蘇我氏が就いてしまったら、天皇に権力が集中してしまいます。
それを恐れた中臣(藤原)鎌足は中大兄皇子(天智天皇)とともに謀反を起こし、権力を奪いました。
そのことがわかると、なぜ菅原道真が太宰府に左遷され、強大な怨霊と化したかも理解できます。
菅原道真は、現在では「学問の神様」として人気の神様です。「菅公」「天神様」の愛称で、太宰府天満宮や北野天満宮をはじめ、全国の天満宮や北野神社に祀られています。
しかし、元は「日本三大怨霊」の一柱として恐れられた存在です。
平安時代前期の845年に生まれた菅原道真は、若くして文才の評価を得て、朝廷の中心的存在になり、宇多天皇・醍醐天皇の右大臣までになりました。しかし、道真に嫉妬した左大臣の藤原時平の「讒言(ざんげん)」により、道真は太宰府へ左遷され、その地で無念の死を遂げます。
道真の死後、朝廷では不可解な死が相次ぎます。時平も39歳で病死。醍醐天皇の皇子である保明親王も病気で薨御。
極め付けが醍醐天皇の目の前で清涼殿に雷が落ち、その火災で多くの死者を出します。その3ヶ月後に醍醐天皇は崩御しました。
人々はこれを「雷神」となった道真の祟りだとし、道真の名誉を回復し、神として祀りました。
これが菅原道真が怨霊とかした経緯ですが、これだけだと単に「悲劇の偉人」としか印象にありません。しかし、道真の血筋を調べると、なぜ藤原時平は道真を排除したかがわかります。
菅原氏とは、古代の豪族「土師(はじ)氏」から姓を改めた氏族です。では土師氏のルーツはどこにあるのでしょうか。
その答えは、出雲口伝の書である斎木雲州氏著の『出雲と蘇我王国』に記されています。
なんと土師氏の始祖は、出雲国第17代副王の野見宿禰だと記されています!
野見とは出雲王家「富」から改姓した姓です。
出雲国では、王家である富家と郷戸家がそれぞれ交代で国王と副王を歴任します。
つまり、土師氏も出雲王家の血筋であり、そこから派生した菅原家もまた出雲王家の血筋です。
そうです。菅原道真は出雲王家の血筋なのです!
天皇と同じ出雲王家の血が流れていたのです!
そうなると、道真が天皇の側近につくということは、権力が天皇に集中する可能性が出てきます。藤原時平は、なんとしても阻止しなければなりません。
なので、いわれのない出まかせを醍醐天皇に吹聴し、道真を左遷に追い込んだのです。そして道真は不幸の死を遂げてしまいます。
しかし、ここで厄介なのが、時平のご先祖さまである藤原不比等が創作した「出雲神の祟り」です。
出雲の王は、強大な怨霊となって朝廷の者を祟ってゆくのです。
そして、実際に不幸の死が立て続けに起きていきます。
この怨霊を鎮めるにはどうすればいいか。
それは、神として丁重に祀るしかありません。
そのためにこの強大な怨霊を「天神様」という最高級の神様に祭り上げたのです。
そして現在では「学問の神様」として君臨するのが、この菅原道真です。
すべては「出雲王家の血」が原因だったのです。
しかし、道真が怨霊になった原因はもう一つあります。
なぜ彼は死後「雷神」となったのかです。
彼の強大な霊力は、古代の神である「龍蛇神」を封印するために利用されているのです。
次回、詳しく考察していきます!
以上は私個人の考察です。
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