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【考察のまとめ】相馬氏が相馬地方を治めた本当の理由は子眉嶺神社にあり

ここまで、相馬地方から東北へ広がった馬神「駒形神」について考察してきました。

今回はそのまとめになります。

 

福島県相馬市に生まれ育った私は、相馬地方で行われる「馬神信仰」は、相馬氏が初めて持ってきたものだと思っていました。

しかしそれは違いました。

相馬市の隣にある新地町の「子眉嶺神社」にある「馬伝説」が、相馬地方の馬信仰を紐解く鍵です。

実は今から1300〜1400年前、相馬氏が来るはるか前に子眉嶺神社では馬神である「相善神」を祀っていました。

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では、誰が相馬地方に馬神を持ってきたのかというと、相馬地方に蝦夷討伐に進軍してきた毛野国(群馬県・栃木県)の豊国物部氏です。

子眉嶺神社の馬伝説を解読すると、それらが浮かび上がります。

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豊国物部氏はその後「吉弥侯部(きみこべ)氏」と名乗り、ヤマト朝廷の蝦夷討伐のため東北を北上し、統治しながら馬神「駒形神」を布教していきます。

現在でも東北に多く残っている駒形神社」「蒼前社」などはそのとき創建されたものです。

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吉弥侯部氏は統治した土地の山に駒形神を祀ります。東北に多く存在する「駒」がつく山は、そのときに名付けられました。

しかしその場所は、先住民が龍神アラハバキ」を祀っていた場所です。

自分たちの神様を奪われた先住民たちは怒りをあらわにし、朝廷軍に反乱を起こします

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先住民の反乱が続き、なかなか統治できない吉弥侯部氏に剛を煮やした朝廷は、彼らを次々に西日本へ強制送還し、坂上田村麻呂征夷大将軍の時代に移ります。

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蝦夷討伐の先陣をきった吉弥侯部氏は、歴史の表舞台から消えていきますが、東北の駒形信仰は人々の間で継承されていきます。

その中でも、東北の馬神信仰の発祥である子眉嶺神社は、騎馬武者たちの聖地です。

あの伊達政宗公も奇襲をかけてまでして奪い取った、重要な神社です。

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ということは、鎌倉時代に相馬地方へ移り住んできた相馬氏も、この子眉嶺神社が欲しくてこの地へ来たのではないでしょうか。

表向きは源頼朝から賜ったとなってますが、本当は自らこの地を申し出たのではないかと考えてしまいます。

 

相馬氏は、子眉嶺神社が目的でこの地をおさめた。

 

しかし、悲しいことに伊達政宗に子眉嶺神社を取られてしまいます。

だからこそ、相馬氏は「相馬野馬追」という軍事演習を何百年も続けているのではないのでしょうか。

 

これはあくまで私の個人的な妄想です。

 

 

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