クマシネぶろぐ

クマシネとは神に捧げるお米のこと

昭和20年8月9日、福島県と長崎県、原発と原爆。

以前、皇居の鬼門のその先にあるものを紹介しました。

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

 

 

皇居の鬼門神田明神寛永寺の先にあるのは、福島県双葉町大熊町にある発電所です。13年前に大事故を起こした場所です。

 



 

では、発電所ができる前はこの場所には何があったのでしょうか?

 

上の地図をよく見ると、「磐城陸軍飛行場跡記念碑」と書かれているのがわかります。



そうです。戦時中この場所は、「磐城飛行場」だったのです。

しかも、単なる飛行場ではありません。

この場所は特攻隊の養成場だったのです。

ここで訓練した生徒たちが、鹿児島県の知覧や南方の基地へ配属されます。

とても重要な場所でした。

 

昭和17年、太平洋戦争が開始される前にこの飛行場が設置されました。

最初は「宇都宮飛行学校磐城分校」として零戦パイロットを育成する学校でした。

しかし昭和20年(1945)2月「磐城飛行場特別攻撃教育隊」として独立し、学生たちは「特攻」の訓練もするようになりました。

しかし、7月には訓練は中止になり、空襲から訓練機を守るため6km離れた夜ノ森公園に移動し、桜並木の下に隠されました。

 

飛行場がある大熊町は人口も多くなく、本当に田舎でした。

しかし、飛行場があるせいで、空襲の対象になってしまいました。

 

そして昭和20年8月9日飛行場を中心に、米軍による大規模な空襲が行われました。

奇しくもその日は、長崎県長崎市原子爆弾が落とされた日です。

この日、日本の東と西で、米軍による大規模な攻撃が行われました。

 

 

 

大熊町への空襲は10日まで続きます。特に10日の攻撃は激しさを増し、多大な被害と犠牲者を出しました。

 

そのとき米軍機に搭載されていたガンガメラに映像がYouTubeに上がっています。


www.youtube.com

生々しい爆撃の様子も収められています。



これにより皇居の鬼門に張られた結界は崩壊します。

その5日後、日本を終戦を迎えます。

 

これは小さな田舎町で起きた悲劇です。

本当は起きるべきではなかったことです。

しかし、これも皇居の鬼門に位置している場所の運命なのでしょうか。

 

そして終戦から65年と7ヶ月後

今度は福島県原子力による大事故が起こります。

日本の東と西で、原子力による「攻撃」が起きてしまいました。

 

これも単なる偶然なのでしょうか。

誰かが操っていると思うのは考えすぎでしょうか。

 

福島県長崎県

とても奇妙な運命で繋がれています。

 

↓次回

kumashine369.hatenablog.com

 

<参考文献>

d4p.world

boshinken.publishers.fm

 

<よく読まれている記事>

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

kumashine369.hatenablog.com

 

 

LOVE&PEACE