以前、皇居の鬼門のその先にあるものを紹介しました。
皇居の鬼門「神田明神」と「寛永寺」の先にあるのは、福島県の双葉町と大熊町にある「発電所」です。13年前に大事故を起こした場所です。
では、発電所ができる前はこの場所には何があったのでしょうか?
上の地図をよく見ると、「磐城陸軍飛行場跡記念碑」と書かれているのがわかります。
そうです。戦時中この場所は、「磐城飛行場」だったのです。
しかも、単なる飛行場ではありません。
この場所は特攻隊の養成場だったのです。
ここで訓練した生徒たちが、鹿児島県の知覧や南方の基地へ配属されます。
とても重要な場所でした。
昭和17年、太平洋戦争が開始される前にこの飛行場が設置されました。
最初は「宇都宮飛行学校磐城分校」として零戦のパイロットを育成する学校でした。
しかし昭和20年(1945)2月、「磐城飛行場特別攻撃教育隊」として独立し、学生たちは「特攻」の訓練もするようになりました。
しかし、7月には訓練は中止になり、空襲から訓練機を守るため6km離れた夜ノ森公園に移動し、桜並木の下に隠されました。
飛行場がある大熊町は人口も多くなく、本当に田舎でした。
しかし、飛行場があるせいで、空襲の対象になってしまいました。
そして昭和20年8月9日。飛行場を中心に、米軍による大規模な空襲が行われました。
奇しくもその日は、長崎県長崎市に原子爆弾が落とされた日です。
この日、日本の東と西で、米軍による大規模な攻撃が行われました。
大熊町への空襲は10日まで続きます。特に10日の攻撃は激しさを増し、多大な被害と犠牲者を出しました。
そのとき米軍機に搭載されていたガンガメラに映像がYouTubeに上がっています。
生々しい爆撃の様子も収められています。
これにより皇居の鬼門に張られた結界は崩壊します。
その5日後、日本を終戦を迎えます。
これは小さな田舎町で起きた悲劇です。
本当は起きるべきではなかったことです。
しかし、これも皇居の鬼門に位置している場所の運命なのでしょうか。
そして終戦から65年と7ヶ月後。
日本の東と西で、原子力による「攻撃」が起きてしまいました。
これも単なる偶然なのでしょうか。
誰かが操っていると思うのは考えすぎでしょうか。
とても奇妙な運命で繋がれています。
↓次回
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