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伊達政宗が駒ヶ嶺城へ奇襲をかけた本当の理由を考察する

ここまで、約1500年前に相馬地方に伝わった馬神「駒形神」が、蝦夷討伐と一緒に古代東北各地に普及した様子を考察していきました。

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そして、東北地方に一番最初に創建された馬神の神社が、福島県新地町の「子眉嶺(こびみね)神社」です。

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私はこの考察をしているときに、ある歴史の事件を思い出しました。

それは、1589年5月に起きた、伊達政宗の家臣の亘理重宗駒ヶ嶺城を奇襲した事件です。

駒ヶ嶺城とは戦国時代、現在の新地町にあった城で、相馬市との境付近に存在しました。

当時その土地は相馬氏の領地でしたが、伊達軍に攻められ、領地を奪われてしまいます。

しかし、問題はその奪い方です。

 

当時相馬氏は、三春への遠征で将軍以下軍勢も出払っていて、領地内の軍備が手薄でした。伊達軍はその隙を狙って、駒ヶ嶺城を攻め落とし、その後さらに南下して相馬軍と合戦します。

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その合戦で戦死した相馬隆胤公の首塚は、いまだに史跡として残っています。


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これを機に、相馬藩と仙台藩の境が決まりました。

 

私はこの歴史を知ったとき、伊達軍の卑怯な手口に怒りを覚えました。武士なら正々堂々と戦えと。

 

しかし、東北の古代史を深掘りした今なら、伊達政宗公の気持ちがよくわかります。

なぜなら駒ヶ嶺城を西に進むと、そこには子眉嶺神社があるからです。

東北の騎馬民族にとっての聖地がそこにあるのです。

 

伊達政宗公は、その地をどうしても欲しかったのではないでしょうか。

騎馬武者たちの精神的支柱を自分のものにし、勢力拡大を鼓舞するために。

そして水の神であり農耕の神である駒形神を手に入れ、領民の繁栄のために。

 

だからこそ、政宗公は軍備が手薄なときを狙って奇襲をかけたのではないでしょうか。

 

そして、相馬氏が崇拝していた「相善神」(馬の神様)を奪うということは、相馬氏にとってもかなりのダメージです。しかも戦国時代が終わろうとするタイミングです。伊達政宗公はなかなかの策士です。敵ながらあっぱれです。

 

けっきょくは子眉嶺神社は江戸時代が終わるまで、仙台藩の神社になりました。

 

ということは、相馬氏がこの地を領地にした理由も見えてきます。

それは、子眉嶺神社があったから、この地をおさめたのではないでしょうか。

馬神を崇拝する民族が、古代から継承される馬神を目指し、この地へやってきたのではないでしょうか。

 

次回は、相馬氏が相馬地方へやってきた本当の理由に迫り、この考察のまとめをしたいと思います。

 

※これらはあくまで私個人の考察です。これらを決定づける資料はございません。

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