おはようございます。くましね薫です。
前回は内科医の内海聡さんの発言、「天皇は侵略者だ」について私の考察を述べました。
今回は、内海さんの他の発言である、
について考察していきます。
内海さんは「弥生人=天皇」というニュアンスで発言しています。
日本神話をそのまま読み解くと、神武天皇率いる弥生人は大陸から九州南部に上陸し、ヤマトへ進軍します。
ただ、前回考察したように、神武東征はあくまで神話です。
そのモデルになった出来事は、物部氏による東征です。
九州で勢力を拡大する物部氏が、四国を経由してヤマトへ進軍するのです。
これが神武東征の原型です。
この物部東征を伝えている出雲口伝では、この物部氏の野蛮な姿を後世に伝えています。
物部氏とは、武器を司る兵士の集団でもあります。
武士を表す「もののふ」とは、物部(もののべ)氏が由来だと言われています。
なので、武力で先住民を制圧したことが想像できます。
東征の際、当然先住民と戦闘になります。
争いをほとんどしてこなかった縄文人にとって、大陸から戦争を持ち込んできた物部氏は脅威だったでしょう。大陸の戦乱を勝ち抜いてきた兵たちに、先住民は太刀打ちできず、多くの先住民が戦死したと思われます。
そのほか物部氏は、秦の風習である「家臣の生き埋め」を日本でも行いました。
物部氏のトップ層が亡くなったとき、その家臣も一緒に古墳へ生き埋めにするという風習です。それに対して先住民の間ですごい反発があったそうです。それをやめさせるために、古墳に埴輪を埋める風習ができました。埴輪は人身供養の代わりだったのです。
このように、先住民は物部氏の武力に圧倒され、多くが亡くなりました。
しかしこれは虐殺なのでしょうか?
確かに、生き埋めにする行為は非常に野蛮です。
物部氏は先住民を根絶やしにするほど虐殺をしたのでしょうか?
内海さんの発言を聞くと、弥生人はアメリカ大陸や東南アジアなどで先住民を虐殺したヨーロッパ人のような印象を持ってしまいます。
しかし、実際は違います。
その証拠に、日本人の多くに、縄文人の遺伝子が残されているからです。
もし虐殺が行われていたら、このような結果にはなってないでしょう。
縄文時代から弥生時代への移行というのは、渡来人と縄文人が緩やかに結託していった歴史です。
私たちは渡来人を、先進的な技術を大陸から持ってきた傲慢な人々、というイメージを潜在的に持っていますが、私は違うと考えています。
むしろ、縄文人が持っている「超能力」に圧倒され、日本に移住をしたのではないでしょうか。
だから日本で大王になる条件が、「女性祭祀王への婿入り」だったのです。
そして、虐殺が行われていないと私が考えるもうひとつの証拠が、私たちが話している「日本語」です。
なぜ私たちは中国語でもなく朝鮮語でもなく、日本語を話しているのでしょうか。
次回、日本語について考察していきます。
以上は私の仮説です。
あくまでエンタメとしてお楽しみください。
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ありがとうございました。