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不幸な出来事は自分を成長させるチャンス【突然の父親の介護】

 

実は最近ある事件が起き、突然父親の介護をすることになりました。

突然の出来事なので、まだ要介護の区分もなく、自宅で介護しなければなりません。

 

不安定な歩行の父は、認知症の症状がみられ、まだ自分が歩けると思い込み、自分勝手に歩き回ります。

しかも何度も何度もトイレに行こうとして、多いときは10分に一回を1時間繰り返します。

 

しかし、実際はヨタヨタ歩きなためよく転倒し、この前など頭部をガラス窓にぶつけて出血してしまいました。

幸い傷口は浅く、大事にはいたりませんでしたが、また同じことが起きるのではないかと父から目が離せない状態です。

 

そうなるともちろん私の自由な時間も奪われ、ここ最近はろくに寝られず、父のそばにつきながらブログを書いている状態です。

 

私の叔母は某神道系の宗教の信者なのですが、私の父に対して、「こうなったのはご先祖さまからのカルマのせいだ」と呪いをかけてきます。

そして、宗教の勧誘をかましてきます。

 

ほとんどの人は、不幸な出来事を嫌います。私だって本当は嫌いです。

叔母も、不幸が嫌いだから熱心に宗教の神様にお祈りを捧げます。

 

しかしそれは、単なる現実逃避なのです。

本来宗教とは現実世界を生き抜くためのツールなのに、現在ではつらい現実から逃れるためのものとなってしまいました。

 

私が宗教に入って神に祈ったら、父の体はよくなるのでしょうか?宗教にお布施したらカルマは解消されるのでしょうか?

そんなバカなことはありません。

 

そうではなく、目の前のことをやるしかないのです。

 

幸いなことに、私は介護職を8年間勤めてきました。なので普通の人よりは親の介護をこなせます。

そして、サポートしてくれる福祉関係の知人もいるので、精神的な余裕もあります。

 

もし神様が本当にいるとしたら、不幸な出来事とは、成長するためのチャンスを神様からいただいたのです。

不幸から逃れようとするのではなく、不幸を乗り越える。だからこの世界には不幸な出来事で溢れかえっているのです。

 

私はこの不幸なイベントを乗り越えるために、8年間介護施設で予行練習をしてきたのです。

ここでようやく点と点がつながりました。

 

たぶん父は、遅かれ早かれ施設に入所するでしょう。

それまでに、私は父の介護をするだけです。

これは不幸でもなんでもありません。