以前、蝦夷討伐は福島県相馬地方からで始まったと、私はブログに書きました。
その蝦夷討伐の先陣を斬ったのが、上毛野国(群馬県)の鹿我別王(かがわけおう)率いる豊国物部氏でした。
彼らが創建した神社は南相馬市に今も残っています。
ということは、豊国物部氏が建てた神社は相馬地方だけではなく、他の地方にもあるのではないかと思い、私は探してみました。
すると、宮城県亘理郡亘理町逢隈(おおくま)にとても古い神社を見つけました。
それが「安福河伯(あふくかはく)神社」です。
この神社は阿武隈川沿いに鎮座する、亘理郡延期式式内社の4社のうちの1社です。
ヤマトタケルが東征の111年(景行天皇在任期)に創建した、かなり歴史のある神社です。
神社の由緒ではヤマトタケルが創建したことになっていますが、私は豊国物部氏が創建したと考えています。
以前にも考察しましたが、ヤマトタケルはヤマト朝廷が作った伝説上の人物です。
創建年も111年とありますが、景行天皇が在任した正確な年代は4〜5世紀頃です。すると豊国物部氏が蝦夷討伐を開始した年代とピッタリと重なります。
参考文献→http://www.jinbun-db.com/journal/pdf/vol_13_113-120.pdf
そしてご祭神は、「大祓詞」に登場する「速秋津比売(ハヤアキツヒメ)神」を主祭神に、経津主(ふつぬし)神、猿田彦命、大年神が祀られています。
速秋津比売神は物部氏の先祖である「饒速日(ニギハヤヒ)」の「速」が入ってます(もしかすると「速須佐男命(スサノオ)」の「速」かもしれませんが…)。
このことから、私はこの安福河伯神社を豊国物部氏が建立した神社だと考えました。
豊国物部氏は、北からの防衛のために、亘理町の阿武隈川沿いに陣地を張り、神社を建立したのでしょう。
そして神社名にある「河伯」という字は、中国の黄河に宿る龍神の意味があります。ひょっとすると、南相馬市の川沿いに祀られた「八大竜王」と同じ龍神かもしれません。
では、考察はこのぐらいにして、実際に安福河伯神社へ行ってみましょう。
歴史を感じさせる石柱と、森に囲まれた参道で、すでに厳かな空気が漂っています。
階段を上がると、1858年の建てられた社殿が現れます。
本殿の壁には大迫力の龍の木彫りが飾られています。
ここにも武神が宿っています。「モノノフ」である物部氏を象徴するような立派な龍神です。
司東真雄先生の著『東北の古代探訪』にもこの神社のことが記載されていますが、社名が「安福麻河伯(あぶくまかはく)神社」で、もしかするとこちらが本当の名前かもしれません。「阿武隈川」も本当は「安福麻川」だったかもです。
これは戦後GHQによって「麻」の字を消されてしまったのではないかと考えてしまいます。
そして司東先生のご著書には、安福麻河伯神社の近くにある「稲葉」の地に、先住民が祀っていた神様がいたと記載されています。
ということで、次回は阿武隈川に先住民が祀っていた古代の神様について考察していきます!
お楽しみに!
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ありがとうございました🫶