これは私の想像の物語。
超古代の志禰波(しねは)の地は、現在よりも海水が上昇し、山と海の距離が近くにありました。
陸地は森で生い茂り、人々はわずかな空いた土地に住居を構えていました。
特にクマ川周辺には、たくさんの集落が存在しました。
しかし、陸よりも多くの人が住んでいたのが山の中です。
豊富な木の実や野草に綺麗な水、そしてたくさんの獣がいるので、食糧に困りません。
陸の民と山の民はお互い協力して生活しました。
クマ川付近では、お米の栽培をしていました。
しかしこのお米は食料ではなく、神に捧げるものでした。
当時はまだお米を食べてなかったのです。
とれたお米は、神々が住むと言われる場所に捧げられます。
お米は山の民にも分け与えられ、彼らも神聖な場所にお供えしました。
陸地では土器や埴輪、アクセサリーなども盛んに作られ、これらは大事な神事に使用されました。
これらも山の民に分け与え、山の民はお礼に狩った獲物や木の実などを与えました。
そんなとき、海の方からいくつものカヌーがやってきました。
彼らは海洋民族ラピュタ人です。
志禰波の人々は彼らの訪問に喜びました。
彼らが持ってくる珍しいお土産と、外国のお話は彼らにとっては未知のもので興味津々です。
志禰波の人々は彼らにご馳走を振舞い、喜びの歌と踊りをみんなで楽しみました。
三日三晩歌って踊ったラピュタ人は、クマ川を上ることにします。
カヌーを漕いで川の上流まで行くと、そこには山の民が待っていました。
ラピュタ人は、綺麗な湧き水はないか尋ねました。
山の民はこっちだと案内しました。
山の民にもお土産を渡し、彼らは大喜びしました。
目的地に到着すると、そこから綺麗な水が湧き出てました。
ラピュタ人は、陸の民からもらった土器に、その水を入れました。
次に彼らは、あるものを探しに山の中を歩きました。
そして見つけたのは、巨大な岩です。
その岩をどうするのか。
彼らは岩の周りを5、6人でぐるりと囲みます。
そして、口から特殊な音波を出し続けます。
しばらくすると、その巨大な岩が宙へ浮き出したのです。
その岩を一人が押しながら、湧水のところまで動かします。
音波を出しながらゆっくりゆっくり動かし、ようやく目的地まで到着しました。
巨石をゆっくり下ろします。
それを見た山の民は喜び、また彼らと歌い踊りました。
宴は三日三晩続きました。
すると、海の向こうから太陽が顔を出しました。
彼らはこの光を「神霊波」と呼び、次第にその名が「志禰波」に変わりました。
彼らはその光を浴びながら、声を上げ、天を仰ぎ、ひれ伏しました。
ラピュタ人は水と食料を調達し、再び川を下り、海へと出発しました。
志禰波の人々は、またラピュタ人が来るのを楽しみにしながら、今日も生きるために食料を探し、神に祈るのです。
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参考文献
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