ここまで、蝦夷討伐を行なう朝廷軍と馬神信仰の関係について考察してきました。
大陸から渡来してきた騎馬民族である「吉弥侯部(きみこべ)氏」は、自分たちの神である「馬神」を進軍と一緒に東北各地へ祀っていきました。
「子眉嶺(こびみね)神社」です。
せっかく子眉嶺神社について考察しているので、今回改めて神社に参拝しに行きました。
こちらの拝殿は平成11年に改築されたものだそうです。
馬頭観世音様もいらっしゃいました。
ご祭神は「豊受比賣之命」です。別名「豊受大神」で、五穀豊穣の神様であり月の神様でもあります。神社に伝わる「馬伝説」に登場する姫様がご祭神ではないかと言われています。
古くは「勝善社(しょうぜんしゃ)」、「相善社(そうぜんしゃ)」と呼ばれ、「奥之相善宮」と称し馬の守護神として信仰されていました。
(由緒書きより引用)
子眉嶺神社の馬伝説「姫君と名馬」の案内板です。
坂の下には伝説の舞台となった「鏡ヶ池」があります。
しかし残念ながら池に水はありませんでした。
坂の途中には製鉄遺跡があります。
子眉嶺神社には他にも伝説があり、「七不思議」と称しています。
神社の南側は小高い山となっていて、その上には公園があります。
この山は「羽山」というそうです。
山の上には「奥之相善宮祭神埋没地」という石碑があります。
近くを散歩していたおばあちゃんに聞いたところ、「ここが姫様が埋葬された場所」だそうです。
『新地町史』には、姫君の亡骸を埋葬した山なので「母山」と呼ばれ、のちに「羽山」となったそうです。
子眉嶺神社は東北の古代史にとってとても重要な神社です。
皆様もぜひ参拝にいらしてください。
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ありがとうございました🤝