みなさんこんにちは!!
前回のブログでは、福島第一原発がある双葉郡(標葉郷)は、古代の聖地ではないかと仮説を立てました。
では、大和朝廷がこの地を統治する前は、どのような民族が住んでいたのか。
調査しました。
しかし、相馬・双葉地方(相双地方)の古代の文献や資料はほとんどありません。
なので正確に知ることはできないのですが、ここで参考にするのが口伝や伝承です。
紙の資料や遺跡を重視する歴史の研究からすると邪道かもしれないですが、その資料が存在しないので、手がかりとなる伝承から推測をしていきたいと思います。
今回参照にする伝承は、浪江町請戸(うけど)にある苕野(くさの)神社に伝わる伝承です。
苕野神社は、延喜式式内社の陸奥国百座の歴史ある神社ですが、海の近くにあったせいで、東日本大震災の津波で社殿すべてが流され、宮司様家族も犠牲になりました。
そんな悲劇に遭いながらも、去年から再建の動きをみせています。
その苕野神社に伝わる伝説は、海からやってきた女神の話です。
相双地区の歴史書『奥相志』の記述を要約しますと、
上古人皇の始め(2500~2000年前?)、奥州標葉郡の苕野の沖より磐樟(いわくす)船一隻が漂着します。船の中を見ると、女神9柱が乗っていました。この世のものとは思えないほど美しい容姿です。そこに浜の強者の阿部というものが怒りながら矛を握り、神へ向かいます。これを村老が叱って制し、苕野の小島に宮居を建て、女神たちを祀りました。それにより国家安全、子孫繁栄、航海安全を守護する苕野神として、その後は請戸明神として、人びとに親しまれたというのです。
それに加えて、『奥相志』には別伝として、こんな記述があります。
「請戸の神は天竺(てんじく)、又曰く震旦(しんたん)国王の后なり、夫婦も隙あり、后を空船(うつぼぶね)に乗せ海に放つ。漂着し請戸沖に来る」
まさかの外国から漂着した神様です!
しかも天竺といえば、現在のインドですし、震旦とは中国のことです。しかも震旦とは古代インド人が中国のことを「秦の土地」という意味で呼称した地名です。なので、出発点はインドと考えていいでしょう。
しかも、苕野神社に祀られているご祭神は、農業・漁業の神様の高龗(たかおかみ)神と闇龗(くらおかみ)神のほかに、祀られている神様がいます。
それが
大屋津姫神
抓津姫神
天竺から神が来たと伝承がある土地に祀られているのが、この三柱です。
しかも、伝承に出てくる“阿部”という人物。
これは、この土地に出雲族の集落があったことを物語るものではないでしょうか!?
次回へ続きます。