こんにちは。くましね薫です。
前回までは、皇居の鬼門に位置する「某発電所」の土地の歴史について解説しました。
もう一度言いますが、現在の日本の中心である「皇居」の鬼門である「神田明神」と「寛永寺」の先には、13年前に大事故を起こした「某発電所」があります。
今回はその周辺の歴史について触れたいと思います。
私が大熊町や双葉町の歴史を調べて気になったのが、「大瀧根山」です。
それは以前記事にした「田村市」の山です。
田村市とは某発電所がある双葉町と大熊町の西に位置する自治体です。
その双葉町の諏訪神社に伝承される由緒にそれが隠されています。
以下、『大字誌 両竹1』から引用します。
“この地に諏訪神社を勧請した理由は、坂上田村麻呂が「凶賊大瀧根」を討伐しようと試みたことによる。「大瀧根」と言えば、阿武隈山地の最も高い山・大滝根山のことで、この地の大多鬼丸という豪族を田村将軍が征伐したという伝説は今でも語り継がれている。もっとも、大多鬼丸を「凶賊」と記されているが、朝廷の理不尽な命令に従わなかっただけで、単純に悪人や荒くれ者として捉えるわけにはいかないこと付言しておきたい”
いわゆる「蝦夷討伐」に関しての伝承です。
平安時代、征夷大将軍の坂上田村麻呂は、この地にいた古代の豪族を討伐していきます。その豪族の首長が、田村市にある大瀧根山(大多鬼根山)を本拠地にする「大多鬼丸」でした。
私は以前、田村市に残る伝統は「出雲族」の伝統だと考察しました。
彼らも出雲族なのではないでしょうか。
そして阿武隈山地には、50年ほど前まで「サンカ」が存在したという証言もあります。彼らは「鬼」と呼ばれた人々のその後の姿かもしれません。
では、その大瀧根山の場所を見てみましょう。
ちょうど某発電所の西に位置しています。
では、大瀧根山に画面を寄ってみましょう。
北の方に何かがあります。
あ………。
やっぱりそういうことなのです!
実はこの場所は大瀧根山の頂上だそうです。
阿武隈山地で一番高い山の頂上は、一般人立ち入り禁止なのです。
この状況から、この場所も古代の聖地だと考えられます。
大熊町の熊川は、熊本県の「押戸石の丘」からのびる夏至線上に位置しています。
西側から見ると山から太陽があがり、神奈備山信仰の場所だったのではないでしょうか。
しかもこの大瀧根山の写真。巨石信仰があったのではないかとみれます。
画像引用元 https://www.tif.ne.jp/jp/spot.html?spot=7435
しかも大瀧根山は、別名「霧島岳」とも呼ばれています。
宮崎県と鹿児島県にまたがり、「天孫降臨」の舞台である「霧島山」と同じ名前がつけられています。
これは何かが封じられています。
もしかすると、「鬼」と呼ばれた彼らが使う呪術「鬼道」を封じるためなのかもしれません。
しかし現代ではその「聖なる力」を封じ込めるために、何重にも力が加わっているのです。
そうなると「某発電所」の事故は、起きるべくして起きたと言えるかもしれません。
封じられている「龍神様」がお怒りになられているかもしれません。
某発電所の事故処理にはまだまだ時間がかかります。
龍神様のお怒りはおさまらないでしょう。
そのため私たちができることは、龍神様に謝罪と感謝をすることです。
「シネハの土地をお守りくださっている龍神様。ずっとつらい思いをさせて申し訳ございませんでした。私たちにできることは少ないですが、ずっと龍神様のことを想っています。ありがとうございました」
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