こんにちは。くましね薫です。
今年の2月あたりから、ダウンタウンの松本人志さんがテレビから姿を消しました。
それ以降私はずっと考えていたことがあります。
それは、
私はダウンタウンの何に熱狂していたのか、
です。
そして、いろいろ考えているうちに思考のスケールが広がり、
私たちは「平成」の何に熱狂してたのか、
考えるようになりました。
私は1985年生まれで、ちょうどバブル経済に突入するタイミングです。
そんな私が初めて熱狂したコンテンツが、『クレヨンしんちゃん』です。
しんちゃんとの出会いは本当に衝撃でした。
自分の母親を「みさえ〜」と呼び捨てにしたり、ちんちん出したりお尻を出したり、お姉さんをナンパしたり。
それまでは『アンパンマン』や『ドラえもん』に触れていました。そんな私の前に現れたしんちゃんは、なんだか大人の世界をのぞいているようでとても刺激的でした(後で知ったのは、もともと『クレヨンしんちゃん』は大人向け漫画だったそうです)。
そのしんちゃんになぜ私は熱狂したのか。
それは、一言で言えば「大人への反抗」だったとおもいます。
今まで絶対的だった親や大人たちへ、言うことを聞かなくても良いんだというメッセージ。しんちゃんは、まさに私たちのロックスターだったのです。
そう考えると、ダウンタウンの笑いも、大人たちへの反抗かもしれません。
ダウンタウンだけではありません。
平成初期に生まれたコンテンツは、ほとんどが「大人たちへの反抗」だったのではないでしょうか。
昭和から平成への移り変わりは、「アナログ」から「デジタル」への移り変わりでもあります。
歌もテレビドラマもバラエティー番組も、どんどん垢抜けていきます。
「アナログ」をダサいものとし、若者はどんどん西洋文化に染まります。
それをうまく表現したのが鳥山明先生の『ドラゴンボール』です。
明らかにアジア人のような孫悟空は、超サイヤ人に進化すると金髪になり、さらに超サイヤ人3にレベルアップすると、顔が明らかに白人、それもアーリア人のようになります。
鳥山明先生は、当時の若者の無意識に広がる共通認識をうまく汲み取っています。
↓超サイヤ人3
俺たちはダサい大人たちとは違うんだぞ。
これが平成初期の若者たちの共通認識だったように思います。
大人たちが教える「道徳」よりも「少年ジャンプ」。
大人たちが教える「唱歌」よりも「J-POP」。
「努力」や「根性」よりも、バラエティー番組を見てヘラヘラしていた方がイケてるのです。
それは、大人たちがつくった戦後の昭和の否定です。
では、「大人たちがつくった戦後の昭和」とはどんな時代だったのでしょうか?
誰が、どんな想いでつくったのでしょうか。
次回それを考察していきます。
お楽しみに。
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