昨日のお昼ごろ、鳥山明先生の訃報を聞き、思わず声を出して驚きました。
先生と「死」のイメージが全くないだけに余計です。
よく上の世代が、『Dr.スランプ』が登場した時の衝撃を語ります。
しかし、昭和60年(1985)生まれの私にとって鳥山先生の作品は、すでにあった作品であり、当たり前の存在でした。
私の記憶ですと、当然家には父が買った『Dr.スランプ』の単行本があり、どの家に行っても『ドラゴンボール』があった印象です。
そのくらい日常の一部でした。
ちなみに今回の件で悲しくなったので、父の『Dr.スランプ』を久々に出してきました。
44年前の本でした!
しかもわずか4ヶ月で10刷りとか、どんだけ人気だったか窺えます。
私はギャグ漫画が好きだったので、アラレちゃんが大好きでした。
『ドラゴンボール』も初期のギャグテイストの時期が大好きです。
ここが私と世間との評価が乖離してますね。
だけれど、じゃあ天下一武闘会以降の『ドラゴンボール』を知らないのかというとそうではなく、むしろ毎週アニメは欠かさず見てましたし、夕方の再放送も見ていました。
キャラクターの名前もほとんど言えるし、どんな展開かもはっきり覚えています。
東映アニメまつりも何回も映画館に観にいきました。
完全に日常なんです。『ドラゴンボール』は。
私たちの世代の共通認識でした。
今思うと贅沢な時代です。
しかも『ドラゴンボール』は今の現役時代ほぼ全員が知っているコンテンツなので、その影響力は恐ろしいです。
単行本は買ってませんでしたが、高校生のころ「完全版」が発売になった頃は全巻買ってしまいました。
去年は映画館で観た『SAND LAND』がとても面白かったですし、今年秋放映の『ドラゴンボール』の新シリーズは、鳥山先生がガッツリ関わると聞いて楽しみにしていました。それだけに今回の訃報は残念でなりません。
私はこのブログで、日本に封印されている「龍神信仰」について書いていますが、『ドラゴンボール』こそ、隠された龍神を復活させた作品だと想っています。
『ドラゴンボール』を考察すれば、日本神話と合致する部分がありそうな気がします。
鳥山先生は、無意識に神話を描いていたのかもしれません。
その世界観が日常の一部であった時代に生まれて幸せだったと感じています。
最後に、鳥山明先生のご冥福を祈ります。
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