今回私は福島県新地町の「富倉」という地に行きました。
なぜかというと、相馬市立図書館にある『口碑福田史』という本に、こんな記述を見つけたからです。
“富倉の神社を富森神社と言う。大昔雑木林の森林が栄へ木炭を製し、製鉄業盛んに行わはれ、遠く鳥取・島根県地方より製鉄の技師多数移り住めば遠くはるか唐、天竺よりくるものと思った技師の住める場所と天竺原と呼んだ。”
つまり伝承によると、古代の新地町の富倉の地に鳥取県・島根県から製鉄技師たちがこの地にやってきたと言うのです!
つまり出雲族が来たという伝承です!
もしこれが本当だとしたら驚きの事実です!
そういえば、同じ新地町の子眉嶺神社にも製鉄の遺跡がありました。
新地町には「手長明神伝説」と言う出雲族を連想させる伝承が残っています。
古代の新地町には出雲族の文明が栄えていたと言う私の考察に、また一歩近づいたかもしれません。
と言うことで、目当ての「富森神社」に行きました。
ここは人の家の敷地に一度入らないといけないので、とても行きづらい場所です。
坂の上に鳥居とお社が見えます。
案内板には、「富穴前古墳群」と書かれています。
どうやらここは古墳の場所に神社があるそうです。
私を出迎える鳥居ですが、存在感がすごく、歴史を感じさせます。
富森神社のお社です。
鳥居とは対照的で新しいです。
ところでこの神社のご祭神はどんな神様なのでしょうか?
資料を調べてもわからないので、近所のおじさんに話を聞いてみました。
すると、「相馬中村神社と同じ妙見様じゃないかな?」とおっしゃってました。
現在は天之御中主(アメノミナカヌシ)尊です。
しかし私は、本当は違うのではないかと考えています。
なぜなら富森神社の「富」が、出雲王家の「富家」から来ているのではないか。
つまり、もともとここでは出雲族の信仰である「サイノカミ信仰」、そして山に神が宿るとする「神名備(かむなび)山信仰」が行われたのではないか。そう私は考えます。
それを相馬氏が統治したときに妙見信仰の場所に変えられたのではないでしょうか。
これはあくまで私の考察です。
では、神社参拝を続けます。
お社の隣には「山神様」が祀られています。
他にもたくさんの神様がいらっしゃいます。
そして山道の脇に、山へ続く道があります。
その道を少し登ると。。。
どん!
これは、、、古墳です!
唐突の古墳の登場に私は興奮しました!!
明かにエネルギーが違います!
ここは間違いなくパワースポットです!
そしてどんな人が埋葬されているのか気になります。
たぶん出雲族の豪族でしょう。
先ほど話を聞いたおじさんは、「この古墳に詳しい人はみんな老人ホームに入ってるよ」とおっしゃってました。残念!
この小山を降りて気づいたのですが、他にも古墳が9つあるそうで、後日そこにも行ってみたいです。
今回は、新地町と出雲族に関係を裏付ける史跡に出会えました。文献をもっと探れば、まだまだありそうですね。
みなさんもぜひ富森神社を訪れてください。
すごいパワースポットです!
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ありがとうございました🫶