前回、茨城県神栖市の息栖神社に祀られている久那戸神(クナドノカミ)について考察しました。
↓詳細はこちらをクリック
簡単に説明しますと、久那戸神は、出雲族が信仰していたサイノカミ信仰の1柱のクノトノ大神で、そこに妻のサイヒメ(幸姫)ノ命と、子供のサルタヒコ大神が合わさったものです。
ではこの神様たちは、出雲族が衰退した後、どのように変化したのでしょう。
参考にするのは、富士林雅樹著『出雲王国とヤマト政権』です。
この本のP48にはこう記されています。
“出雲王国は、3世紀に第二次モノノベ東征により滅亡した。占領軍の頭のモノノベ家は秋上家を名のり、富家の宮殿を住居とした。その後、モノノベ王朝が衰退すると、宮殿の建物を神魂(かもす)神社に変えた。秋上家は、クノト大神をイザナギ大神に、幸姫命をイザナミ大神に変えて、神魂神社で祀った。『古事記』では、それを真似してイザナギノ命とイザナミノ命の名を使うようになった。”
なんと衝撃的な記述です。
日本神話に登場する国造りの神、イザナギ・イザナミの正体は、クノトノ大神とサイヒメノ命だったのです。
しかし、この記述は納得もできます。
日本最初の王国である出雲王国の神様が、国造りの神様なのは当然です。
では、サルタヒコ大神は何者でしょうか?
サルタヒコ大神は、日本神話だと「猿田彦」という字を当てられ、猿の化身のようですが、実は違います。
サルタヒコの「サルタ」とは、「鼻の長い」という意味で象の神「ガネーシャ」のことです。
猿ではないのです。象なのです。
だからその姿は天狗に例えられます。もうわけがわからないですよね。
サルタヒコ大神は峠や橋などの境界を守る神様です。そのことから「岐(ちまた)の神」と呼ばれます。
記紀には猿田彦は、天の八衢(やちまた!)に立ち、邇邇芸(ににぎ)命の天孫降臨の道案内役で登場します。
つまり、あの世とこの世の境の防人のような存在で、まさに「岐の神」そのものです。
(ちなみに、茨城県の大杉神社の眷属は烏天狗と鼻高天狗です。烏天狗は八咫烏であり三輪王君の太田タネヒコ、鼻高天狗はサルタヒコ大神のように推測できます)
衝撃な事実の連続です。
日本神話の重要な神様が、実は出雲族の神様だったのです!
このことから、出雲口伝を紐解くと、日本神話の神様のルーツがわかり、謎がどんどん繋がっていくのです。
もちろんあくまでも出雲王家の伝承であり、証拠は無く、出雲側のバイアスもかかっていて、全てが真実と断言できるわけではないと思います。
ですが、日本創生を読み解くヒントになるのではないかと強く思うのです。
そのことからも、出雲口伝という視点で古代史の謎を解いていきたいと思います。
参考文献
おすすめ記事