前回は、福島県新地町に伝えられてる巨人伝説「手長明神伝説」は、宮崎駿監督作『もののけ姫』のキャラクターのモデルではないかと考察しました。
そして、この新地町の伝説は、この地の原住民である「出雲族」をお伽噺として語り継いだ物語ではないかと考えました。
しかも『もののけ姫』は、失われた出雲族について描いた作品です。
ここでも大きく繋がります。
それでは、順に考察していきましょう!
手長明神は、特に東日本に広く伝承されるおとぎ話で、「手長足長」という名前で呼ばれたりします。
手足が長いという特徴。これはまさに日本で最初の王国を作った出雲族の特徴です。
出雲族は約4000年前に、インドから日本に渡来したドラヴィダ族を祖先に持ちます。彼らは「手足が長い」という身体的特徴を持っています。
そして、古代ヤマト王国を統治していたのが、出雲勢力であるナガスネヒコなのです。彼は「長髄彦」と表記されるように「足が長かった」ようで、そのような名で「記紀」に記されています。
つまり、「手長明神」のモデルは「ナガスネヒコ」であり、手足の長い出雲族なのです!
(ちなみに彼らは「土蜘蛛」と呼ばれることもあります。手足が長いので蜘蛛に例えられています。しかも「土雲」とも表記されることもあり、ここでも出雲族も存在をうかがわせます。)
出雲口伝によると、ナガスネヒコの正体は出雲王家の分家である磯城登美家の大彦です。
大彦はヤマト王国の国王でしたが、秦から渡来した物部氏の攻撃により、息子の沼河別(ヌナカワワケ)とともに東へ去ります。
彼らは出雲王家から、磯城登美の姓を使うことを拒否されます。そして「アベ」を名乗り、日本海側と太平洋側を進みながら出雲勢力を拡大していき、東北地方に「奥州安倍氏」の王国を築きます。
このことから、古代の新地町も当然ながら出雲勢力の土地であったと言っていいでしょう。貝塚が多いのもその証拠です。
出雲口伝によると、出雲族は貝を貴重な食糧と考え、身を取ったあと、その魂を天に送るために貝塚を拝んだそうです。
南相馬市にも広大な貝塚が発見されていて、出雲族の足跡を確認することができます。
そして、村の境目である山の頂上に神を祀るのも、出雲族の信仰である「サルタヒコ大神信仰」に通じます。
手足が長い出雲族が貝塚を作り拝んだという事実を、新地町では「手長明神」の伝説として語り継いだのだと思います。
この伝説を現在まで語り継いできた先人たちに、感謝の気持ちを伝えたいです。
そして、この出雲族の歴史は、そのまま『もののけ姫』の主人公「アシタカヒコ」にも繋がります!
↓次回へ続きます。
この記事はTOLAND Vlogさんの動画を参考にしています。
参考文献
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