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なぜ福島県新地町の「手長明神」は「住吉の神」なのか?

↑鹿狼山

 

前回までは『もののけ姫』の考察を長々としてきましたが、今回は1回目に戻り、福島県新地町の鹿狼山に伝わる「手長明神伝説」について、もう一度考察していきたいと思います。

 

kumashine369.hatenablog.com

 

もののけ姫』の考察をしていった結果、「手長明神」は古代新地町に住んでいた原住民「出雲族」を伝説として残したものだと結論しました。

 

しかしもう一度、「手長明神」の伝説を思い出してください。

伝承にはこう記されています。

 

 

“旧説に曰く、住吉の神仙がおり、常に老鹿を愛でて白狼と馴れ親しんだので、この鹿と狼は片時も側を離れなかった。”

chinki-note.blogspot.comー引用元ー

 

伝承には「住吉の神仙」と記されています。

つまり、住吉大社の神ということです。

 

住吉大社に祀られている神は、底筒男命中筒男命表筒男命の「海神」3柱と、神功皇后です。

 

手長明神は「出雲族」のことなのに、「住吉の神仙」とはどういうことでしょう?

 

その謎を解くには、1600年前の相馬地方までさかのぼります。

 

これは後日詳しく記事にしますが、

成務天皇期に相馬地方(新地町、相馬市、南相馬市)を統治したのが、浮田国造である鹿賀別(かがわけ)王です。

ja.wikipedia.org

彼は上毛野国(群馬県)から相馬地方に派遣され、この地をヤマト朝廷の領土に収めます。

その後鹿賀別王は、神功皇后とともに三韓征伐に参加します。

神功皇后は出兵前に、住吉の神に戦勝祈願します。

 

ここで、相馬地方と住吉の神がつながります。

つまり、相馬地方の原住民を討伐した鹿賀別王が、この地に住吉の神を勧請したのです。

それが手長明神と融合しました。

 

では、なぜ現地の人々は住吉の神を受け入れたのか?

そもそも神社に祀られている神は、この地にいた本当の神様ではない場合があります。

神社の歴史とは、その地に土着した本当の神様を、権力者が別の神に変えさせた歴史です。

もし従わなければ、神社ごと消滅させられてしまいます。

なので、仕方なくその命令を飲むということが多くあったそうです。

 

手長明神伝説も同じで、手長明神社を消されるのならばと、朝廷の命令に従ったのでしょう。

www.tif.ne.jp

ちなみに手長明神は山に住むのになぜ「住吉の神=海の神」なのでしょうか?

それは、海洋民族は山の湧水を求め、川を上るからです

航海のために腐らない水が必要なので、湧水が出る山に自分たちの神を祀るのです。

そして手長明神も、山から海へ手を伸ばし貝を取るので、その意味でも海の神を祀るのでしょう。

 

なので「手長明神伝説」とは、出雲族の伝説を基に様々な神様が融合し、現在まで伝えられたということです。

 

ここまで伝承を継承してきた先人に、感謝の気持ちを捧げます。

 

参考文献

 

 

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