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応神天皇の父親は誰なのか?

こんにちは、くましね薫です。

 

前回は、天皇万世一系ではないかもしれない」と考察しました。

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現在の天皇は第26代継体天皇から続く王朝であるという説をもと考察しています。

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ということは、継体天皇以前の天皇は別の王朝になります。

初代神武天皇から続くのが海部王朝で、第10代崇神天皇から続くのが物部王朝です。

 

では、この物部王朝はどのくらいまで続くのか。

 

私は第14代仲哀天皇までと考えています。

 

そして、第15代応神天皇で、また新たな王朝が始まります。

応神天皇 - Wikipedia



応神天皇の出生は、非常に神話的です。

母である神功皇后が、妊娠したまま朝鮮半島へ出兵します。いわゆる三韓征伐」です。

遠征中に出産しないようにお腹に石を当てて布を巻き、お腹を押さえながら軍勢を指揮しました。

そして無事出兵を終え、筑紫の地で応神天皇を出産します。

そのことから応神天皇「胎中天皇と呼ばれ、軍神として崇められ、八幡神社のご祭神となっています。

 

そして現在、八幡神社は日本で一番多い神社です。

応神天皇は、日本中で守護神として鎮座する神様になります。

 

その応神天皇ですが、正史では父親は仲哀天皇であるとなっています。

しかし、出雲口伝の書には、応神天皇の父親は「第13代景行天皇となっています。仲哀天皇は存在しないことになっています。

もしかすると、神功皇后が大君だったことを隠すために、このような架空の天皇を想像したのかもしれません。

 

これだけでも驚きですが、衝撃の展開はまだ続きます。

なんと出雲口伝では、神功皇后が産んだ子供は幼い時に亡くなってしまいます。後継者がいないとなると、朝鮮から税を取れなくなります。

なぜなら、神功皇后三韓征伐をした理由が、皇后の祖先である天之日矛(アメノヒボコ)が朝鮮からの渡来人で、朝鮮半島もヤマトの属国であるので税を献上しなさい、という理論だからです。

しかし、神功皇后の後継がいないとなると、朝鮮半島から税が取れません。

 

なので、神功皇后は後継者を探します。

そして見つけたのが上毛国(群馬県)の国造の子である「竹葉瀬ノ君」です。

ja.wikipedia.org

彼は神功皇后の子と歳が近かったため採用されます。

 

この竹葉瀬ノ君こそが応神天皇の正体であると、出雲口伝では伝えています。

 

ということは、この竹葉瀬ノ君の父からつながる家系こそが次の王朝になります。

 

竹葉瀬ノ君の父親を調べると、「荒田別(あらたわけ)」という人物が出てきます。

ja.wikipedia.org

荒田別は、神功皇后と一緒に三韓征伐を行った人物です。

実は以前このブログでも紹介した「鹿我別王(かがわけおう)」と共に三韓征伐を行なった人物です。鹿我別王は、蝦夷討伐の先陣を切った人物で、古代の浮田国(福島県相馬地方)の国造を務めました

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そして彼は豊国物部氏です。

ということは荒田別王もまた豊国物部氏ということになります。

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豊国物部氏とは、徐福から続く物部氏と、豊国(豊前・豊後)の連合国です。その豊国には八幡神社の総本山である宇佐神宮があります。

物部氏はヤマトを統治する際、宇佐神宮の巫女を利用します。

www.usajinguu.com

もし応神天皇が豊国物部氏の血筋ならば、八幡神社応神天皇が祀られていることが納得できます。

 

そして、応神天皇の別の名前です。

応神天皇の別称は誉田別尊です。私はなぜ応神天皇がこの名前なのか不思議でした。

神功皇后は「息長垂姫(オキナガタラシヒメ)」ですし、仲哀天皇は「足仲彦(たらしなかつひこ)天皇」、景行天皇は「大足彦忍代別(おおたらしひこおしろわけ)天皇」です。どの名前とも似ていません。

 

しかし、「荒田別」が父親なら説明がつきます。名前がそっくりだからです。

 

つまり、物部王朝は仲哀天皇で途絶えます。

その後続くのが豊国物部氏の血筋であり、宇佐神宮の家系である「宇佐家」の王朝になります。

だから八幡神社には応神天皇が祀られているのです。

 

しかし、応神天皇朝鮮半島から渡来してきたという説もあります。そちらも非常に納得する説です。

荒田別王は何度も朝鮮半島へ派遣されているので、もしかすると本当は朝鮮半島の人物かもしれません。

ただ今の段階では確信的な情報がないので、応神天皇は宇佐家の血筋としておきます。

 

では次回は、応神天皇から始まる宇佐王朝ですが、すぐに途絶えてしまいます。なぜなのか解説していきます。

 

↓次回

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<参考文献>

斎木雲州著『出雲と蘇我王国』

 

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