こんにちは、くましね薫です。
前回は、「天皇は万世一系ではないかもしれない」と考察しました。
現在の天皇は第26代継体天皇から続く王朝であるという説をもと考察しています。
初代神武天皇から続くのが海部王朝で、第10代崇神天皇から続くのが物部王朝です。
では、この物部王朝はどのくらいまで続くのか。
私は第14代仲哀天皇までと考えています。
そして、第15代応神天皇で、また新たな王朝が始まります。
応神天皇の出生は、非常に神話的です。
母である神功皇后が、妊娠したまま朝鮮半島へ出兵します。いわゆる「三韓征伐」です。
遠征中に出産しないようにお腹に石を当てて布を巻き、お腹を押さえながら軍勢を指揮しました。
そして無事出兵を終え、筑紫の地で応神天皇を出産します。
そのことから応神天皇は「胎中天皇」と呼ばれ、軍神として崇められ、八幡神社のご祭神となっています。
そして現在、八幡神社は日本で一番多い神社です。
応神天皇は、日本中で守護神として鎮座する神様になります。
その応神天皇ですが、正史では父親は仲哀天皇であるとなっています。
しかし、出雲口伝の書には、応神天皇の父親は「第13代景行天皇」となっています。仲哀天皇は存在しないことになっています。
もしかすると、神功皇后が大君だったことを隠すために、このような架空の天皇を想像したのかもしれません。
これだけでも驚きですが、衝撃の展開はまだ続きます。
なんと出雲口伝では、神功皇后が産んだ子供は幼い時に亡くなってしまいます。後継者がいないとなると、朝鮮から税を取れなくなります。
なぜなら、神功皇后が三韓征伐をした理由が、皇后の祖先である天之日矛(アメノヒボコ)が朝鮮からの渡来人で、朝鮮半島もヤマトの属国であるので税を献上しなさい、という理論だからです。
しかし、神功皇后の後継がいないとなると、朝鮮半島から税が取れません。
なので、神功皇后は後継者を探します。
そして見つけたのが上毛国(群馬県)の国造の子である「竹葉瀬ノ君」です。
彼は神功皇后の子と歳が近かったため採用されます。
この竹葉瀬ノ君こそが応神天皇の正体であると、出雲口伝では伝えています。
ということは、この竹葉瀬ノ君の父からつながる家系こそが次の王朝になります。
竹葉瀬ノ君の父親を調べると、「荒田別(あらたわけ)」という人物が出てきます。
実は以前このブログでも紹介した「鹿我別王(かがわけおう)」と共に三韓征伐を行なった人物です。鹿我別王は、蝦夷討伐の先陣を切った人物で、古代の浮田国(福島県相馬地方)の国造を務めました。
そして彼は豊国物部氏です。
ということは荒田別王もまた豊国物部氏ということになります。
豊国物部氏とは、徐福から続く物部氏と、豊国(豊前・豊後)の連合国です。その豊国には八幡神社の総本山である宇佐神宮があります。
もし応神天皇が豊国物部氏の血筋ならば、八幡神社に応神天皇が祀られていることが納得できます。
そして、応神天皇の別の名前です。
応神天皇の別称は「誉田別尊」です。私はなぜ応神天皇がこの名前なのか不思議でした。
神功皇后は「息長垂姫(オキナガタラシヒメ)」ですし、仲哀天皇は「足仲彦(たらしなかつひこ)天皇」、景行天皇は「大足彦忍代別(おおたらしひこおしろわけ)天皇」です。どの名前とも似ていません。
しかし、「荒田別」が父親なら説明がつきます。名前がそっくりだからです。
つまり、物部王朝は仲哀天皇で途絶えます。
その後続くのが豊国物部氏の血筋であり、宇佐神宮の家系である「宇佐家」の王朝になります。
しかし、応神天皇は朝鮮半島から渡来してきたという説もあります。そちらも非常に納得する説です。
荒田別王は何度も朝鮮半島へ派遣されているので、もしかすると本当は朝鮮半島の人物かもしれません。
ただ今の段階では確信的な情報がないので、応神天皇は宇佐家の血筋としておきます。
では次回は、応神天皇から始まる宇佐王朝ですが、すぐに途絶えてしまいます。なぜなのか解説していきます。
↓次回
<参考文献>
斎木雲州著『出雲と蘇我王国』
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