前回は、豊国物部氏が建立した神社を求めて、宮城県亘理郡亘理町にある「安福河伯神社」に行き、調査をしました。
司東真雄先生の『東北の古代探訪』という本では安福麻河伯神社について触れていて、神社の近くの「稲葉」という地が、「川神」を祈る場所ではないかと記述されています。
そこで、そのまま稲葉という地へ行ってみました。
そこには大きな阿武隈川が流れ、川沿いに「田沢磨崖仏」という史跡があります。
この磨崖仏は、川沿いの巨大な岩にお地蔵様が彫られています。
鎌倉時代から室町時代のはじめころに制作されたものだそうです。
ここは古来「稲葉の渡し」と呼ばれた場所で、阿武隈川の向こう岸に渡ための船の乗り場でした。
この磨崖仏を見ると、岩の上に樹木が植っています。
司東先生は著書でこう述べます。
“「川神」に祈るときは、神がつねにどこに住んでいるかわからないので、神を祈る人々の身近に降臨の場を設け、『念』がとどくようにした。それが「磐境(いわさか)」で、磐境の中央に堅い木を立て、それを神の「寄代(よりしろ)」として降臨して頂いたのであるといわれる。”
『東北の古代探訪』より
つまり、この磨崖仏は元々古代人が信仰していた「巨石信仰」の場所だったということです。古代の川の神様はこの場所に降臨したのです。
それを鎌倉時代に当時のトレンドである仏教の聖地に変えたのだと考えられます。
その川の神様とはどんな神様でしょうか。
司東先生は続けます。
“「霖雨(りんう=長雨)を停めることを祈る」場であり、洪水、長雨などによる稲の被害に対する悪神を排除する斎場”
『東北の古代探訪』より
ここは、暴れ川を抑える場所であり、古代の人々の「アラハバキ=龍神信仰」につながる場所だったと考えられます。
この史跡の隣には、水道局の施設がありますが、その施設は巨大な岩に面しているのです。
ここはなんと「田沢横穴墓郡」という古墳だそうです!
この岩をよく見ると、、、
岩には模様のようなものが刻まれています!
この岩は奥にも続いていて、
ここにも模様が刻まれ、
穴もあいています。
これは武内一忠さんやTOLAND Vlogさんが追っている「ペトログリフ」ではないでしょうか!?
やはり以前考察したように、海洋民族ラピュタ人は阿武隈川を上り、巨石文明を築いていたのかもしれません!
ただ、なんと書いてあるかわからないのでそこが悔やまれます(泣)
これは大きな発見でした。
今後も阿武隈川周辺を調査していきたいと思います!
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ありがとうございました