こんにちは、くましね薫です。
以前『千と千尋の神隠し』の考察で、「ハクとは人の姿に変えられた龍神である」と説明しました。その際、香取神宮や物部神社に祀られている「経津主(ふつぬし)神」も龍神である可能性があると考察しました。
物部氏は、主に軍隊や武器を司る氏族です。
武士をさす「もののふ」という言葉は、物部(もののべ)からきたと言われています。
私は以前にも「経津主神」について考察してきました。
現在あらわされる経津主神は、人の姿です。
ではこの人の姿の正体は誰なのでしょうか?
私の考察の基盤にあるのは、出雲王家の末裔である斎木雲州氏が公開した「出雲口伝」の本です。
同じ出雲口伝の本である富士林雅樹氏の『出雲王国とヤマト政権』を改めて読むと、なんとそこに「経津主神」の正体が記述されていました。
経津主神の正体は、徐福です。
徐福とは、秦の始皇帝の使いで、日本へ渡来してきた道教の呪術師です。
徐福は始皇帝に「東にある『蓬莱』という国に不老長寿の仙薬がある」と伝え、それを鵜呑みにした始皇帝の命により出雲国へ渡来してきます。
渡来した際、多くの童男童女を連れていきました。その子達はのちの「海部氏」になります。
徐福は出雲国で権力を握ろうと、出雲王の娘と結婚し、子供に恵まれ、地位を築きます。
しかし徐福はそれだけでは飽き足らず、出雲王たちを暗殺します。それに激怒した出雲国の国民に徐福は殺されそうになり、いちど秦へ戻ります。
ここまで7年も経ってました。
秦へ戻った徐福は始皇帝に「海に龍神がいて進めなかった」と嘘を言い、今度は童男童女の他に数多くに熟練工を引き連れて、佐賀県付近に上陸。
そこから徐福集団は九州で勢力を拡大していきます。
彼らから派生した氏族が「物部氏」です。
日本の正史では隠されていますが、物部氏の祖先は徐福です。その徐福を神格化したのが経津主神ということになります。
ではなぜ「ふつぬし」という名なのかというと、徐福は「徐市(じょふつ)」という名も持っているからです。
ふつぬしの「ふつ」はじょふつの「ふつ」なのです。
つまり、物部氏が龍神を徐福に変えてしまった、と私は考えています。
そうなると、ここで面白いことが起こります。
出雲口伝の内容が正しいのなら、日本には徐福が由来の神様がたくさんいることになります。
次回はこの件について詳しく解説していきます。
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