こんにちは、くましね薫です。
前回までは、東京の結界が13年前に破壊されていることと、その結界になぜ平将門公の靈力が使われているのかを考察してきました。
そして今回は、皇居の鬼門の先にある土地について考察していきます。
前々回で明らかにしましたが、皇居の鬼門の行き着く先は↓ここです。
そうです。13年前に大事故を起こした場所です。
この施設に対しては深掘りはしませんが、ではこの土地は元々誰の領地だったのでしょうか?
それは、今から700年前に「相馬氏」が統治した領地です。
相馬氏は、平将門公の遠縁にあたる「千葉氏」から派生した氏族です。
相馬氏は相馬地方を鎌倉時代からずっと統治していきました。
ひとつの土地をひとつの氏族がこれほど長く統治するのは、非常にめずらしいことです。
なぜそんなことができたのでしょうか。
私はずっと疑問に思ってました。
別にそれほど勢力が強いわけでもない氏族が、なぜここまで領地を治められたのか。
しかし、相馬氏が平将門公の家系なら話は変わります。
時代は関ヶ原の戦い(1600)までさかのぼります。
徳川家康公は、相馬氏に出陣要請をしますが、相馬氏は従いませんでした。
そのため相馬氏は改易されます。つまり領土の没収です。
しかし1602年に家光公が誕生した慶事により、相馬氏は罰則を免れました。
この理由がずっと引っかかっていました。
相馬氏が許された理由は本当にこれだけなのでしょうか。
私は別に理由があると考えます。
家康公は、江戸城の鬼門にあたる標葉郷(現在の双葉郡)を、平将門公の一族である相馬氏に統治させたがったのではないのでしょうか。
この江戸城の鬼門の地に、将門公が信奉する「妙見菩薩」の祀る。
それが相馬氏の役目だったのではないでしょうか。
それだと全てがつながります。
わずか六万石の財力しかない相馬中村藩が、その十倍の国力のある仙台伊達藩と隣り合わせでここまで統治できた理由。
それは、相馬氏は家康公の命により、江戸城の鬼門を守り続けたからです。
加門七海さん著の『大江戸魔方陣』によれば、僧侶の天海は江戸城周辺をバキバキに結界を張ります。
それは、家康公を「妙見菩薩」に見立てた強力な結界です。
ならば、鬼門の先にも強力な結界を張らなければ筋が通りません。
福島県双葉郡には、妙見社がいくつかあります。現在は「初發神社」となっていますが、この神社たちが江戸城を守護していたのだと考えられます。
これが相馬氏と相馬地方がここまで生き残ってこれた理由です。
鬼門を守る門番だったのです。
しかし、鬼門を守るということは、災難にも遭いやすいということです。
江戸城の鬼門になったことで、厄災にあう頻度が増したのでしょう。そして明治になってからは天皇陛下が移り住み、その厄災の頻度もさらに増していきます。
陰謀論界隈では、天皇陛下が京都御所に戻られる準備をしているとささやかれています。
もしかすると、近々相馬地方は「鬼門」という役目から解放されるのかもしれません。
首都の繁栄を陰で支えるお役目を降りたとき、この地の「本当の姿」が現れるだろうと期待しています。
↓本当の姿
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ありがとうございました😄