こんにちは、くましね薫です。
前回は、物部氏の祖神である「経津主(ふつぬし)神」の正体が、秦から渡来してきた徐福であると解説しました。
しかし、徐福をモデルにした神様は経津主神だけではありません。
実は日本にはまだまだいるのです。
以下の考察は、出雲口伝の書『出雲王国とヤマト政権』を基にしています。
まずは、2200年前に起きた徐福の一団の渡来です。
彼らは、出雲族の信仰の一部である「貝塚」を破壊していきます。彼らは宗教上の理由で貝が食べられず、出雲族の信仰の意味が理解できなかったようです。
そして、出雲族は神聖な木に、龍蛇神をわらで模した「わら蛇」を巻きます。今の「しめ縄」の原型です。しかし、徐福の一団はそのわら蛇を切っていきます。
その徐福一団の行動に出雲族は怒り、彼らに抗議したそうです。
その荒れくれものな姿が、古事記・日本書紀では「素戔嗚(スサノオ)」として描かれます。
なんと、徐福はスサノオだったのです。
日本神話の最重要神であるスサノオは、秦から渡来してきた徐福なのです。
(これには異論もあり、「アメノヒボコ」をスサノオという説や、渡来してきた大陸の王族を全てスサノオと呼ぶなどさまざまです。しかし、スサノオのイメージの一部が徐福の集団から引用されていると考えていいでしょう)
徐福をモデルにした神はまだいます。
出雲国王暗殺後、徐福の帰国しますが、徐福の一団は出雲にい続けます。そして徐福と出雲族との間に生まれた「五十猛(イソタケル)」が「海部氏」を名乗ります。
その海部氏が創建した神社が、京都府宮津市にある「籠(この)神社」です。
「元伊勢」と言われる籠神社に祀られているのが「彦火明(ヒコホアカリ)命」=「天火明(アメノホアカリ)」です。
出雲口伝では、天火明命も徐福だというのです!
現在日本の神社の中心で、皇室と繋がりのある伊勢神宮。その元となった籠神社の主祭神のモデルが徐福なのです!
衝撃展開です。
徐福をモデルにした神様はまだいます。
出雲国王暗殺後、徐福は一度秦へ戻り、今度は多くの熟練工を引き連れ、佐賀県周辺に上陸します。
そうです。物部氏の祖神の一柱である神様です。
ニギハヤヒはヤマト地方を治めていたナガスネヒコを服従させ、ヤマトを治めた神です。
実は彼も徐福だったのです!
そして出雲の国譲りで「武甕槌(タケミカヅチ)」と共に出雲へ侵攻する経津主神も徐福です。
日本の神様のうち、こんなにも徐福をモデルにした神様がいるのです!
まとめると
ということになります!
なぜこんなことが起こるのでしょうか。
それは、徐福の渡来が、日本の文明を急速に発展させたからだと思います。
彼の登場で、縄文から弥生へと切り替わった。急激なパラダイムシフトを起こしたのが徐福という存在です。
しかし、その転換は、縄文の文明を葬ることでもあります。失われたものも大きいのです。だからスサノオが「悪」のように描かれたのでしょう。
新しい文明が起こるというのは善悪表裏一体なのです。
そして、徐福がなぜ歴史から隠されたかというと、日本が中国の属国になることを恐れ、日本書紀では隠されたのです。
このように、徐福がモデルの神様が多くいるのは、彼が古代日本に多大な影響を与えたからです。
いい意味でも悪い意味でもとてつもなく影響を与えてます。
では、前回解説した「経津主神」ですが、実はこの神様にはもうひとりモデルがいます。
それは、日本神話の英雄である「ヤマトタケル」。そのモデルとなった「ハリマタケル」です!
次回、古代日本を東征したハリマタケルをご紹介します。
<参考文献>
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