こんにちは。くましね薫です。
前回は、東京に張られている結界は13年前に破壊されていて、いま東京が危ないことを提起しました。
その結界とは、皇居の鬼門です。
そこには平将門公が祀られている「神田明神」と、徳川家の菩提寺である「寛永寺」です。
では、なぜ「日本三大怨靈」である平将門公が、皇居を守る結界に利用されているのでしょうか?
考察していきます。
奇しくも私は福島県相馬市に住んでいます。相馬市といえば、将門公の遠縁である「相馬氏」が治めた場所です。
将門公が行ったと言われる軍事演習は今も「相馬野馬追」として受け継がれています。
私はこの記事を書く前に、相馬神社に祀られている平将門公に挨拶に行きました。
では、東京に張られている平将門公の結界について考察していきます。
東京の前身である江戸の街は、僧侶の天海が設計しました。つまり将門公の結界は彼が仕掛けたことになります。
作家の加門七海氏の『平将門魔法陣』によりますと、江戸城(皇居)の北側にある将門公ゆかりの神社仏閣を線で結ぶと、北斗七星の形になるそうです。
これは、将門公が崇拝していた「妙見信仰」のシンボルです。
妙見信仰とは、北極星と北斗七星を「妙見菩薩」として神格化したものです。そのシンボルを北側に配置して江戸城を守護しています。
このように、國家の中心を守護するために平将門公の靈力が利用されています。
しかし、将門公といえば「日本三大怨靈」の一柱です。なぜそんな恐ろしい存在を国の中枢の防衛に利用しているのでしょうか?
私は最初、「強力な怨靈だからこそ逆に利用する」、そんな理由だと思っていました。
「毒をもって毒を制す」。
しかし、作家の飛鳥昭雄氏の本を読むと、その真の理由が浮かび上がりました。
将門公は朝廷に反旗を翻し、自らを「新皇」と称して東日本に独立國を建国しようとします。
そのことで朝廷の逆鱗に触れ、「朝敵」とみなされます。そして将門公は俵藤太に討ち取られます。
このことからも分かるとおり、将門公は朝廷に対しての「朝敵」であって、徳川家にとっては敵ではないのです。むしろ、家康公は平将門公と同じ「東日本に王国を作る」という同じ野望を持っています。
飛鳥昭雄氏は言います。
平将門公も徳川家康公も、古代の東日本に存在した「日高見國」を復活させることが目的だったと。
家康公にとっては平将門公は怨靈ではありません。
超強力な守護神なのです。
江戸幕府が250年もの間、天下泰平の世を築けた理由のひとつが平将門公の結界の力です。
徳川家康公は最強の守護神を得ることができました。
しかし、この仲睦まじい関係は明治維新で終わりを遂げます。
皇居の北には、かつて朝敵であった平将門公の結界があります。
これはなんとかしなければなりません。
政府は大正時代に将門公の首塚を撤去して、そこに大蔵省庁を建築する計画をします。
しかし、いざ工事を開始すると、工事関係者が次々に亡くなります。わずか2年で14人もです。そのほか政務次官や事務次官などの負傷者も相次ぎ、工事は中止になります。
まさに平将門公の呪いが発動します。
戦後にもGHQの命令により首塚の撤去が行われますが、このときも事故が相次ぎ中止します。
現在も首塚周辺のビルは、首塚に背を向けにように席を配置されているそうです。
皇居と平将門公の結界。かつての敵同士が相対してしまいました。
だからこそ、その力に負けないように、皇居の周囲には何重にも結界が張られ、全国からの「氣」が皇居に流れるように仕掛けられているのでしょう。
戦後はまだ大きな厄災は東京では起きてませんが、凶悪事件や事故などが起こるのは、その影響かもしれません。
そして現在、首都圏では不穏の動きが漂っています。
社会の流れも変革を迎えています。
平将門公の靈力が、いままさに動き出そうとしているのかもしれません。
<参考文献>
飛鳥昭雄著『失われたオカルト呪術「迦波羅」の謎』
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ありがとうございました😄