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以前から私は、日本における龍蛇神信仰について考察してきました。
日本の本来の神は龍神・蛇神であり、それを悪神として一神教の渡来人が封じてきた。
これが日本の宗教の歴史です。
そして、ちょうど現在公開中の『ゴジラ−1.0』。日本だけでなくアメリカでも大ヒットしている超話題作です。
私も鑑賞しましたが、とてもいい映画でした。
鑑賞して思ったのが、ゴジラこそが日本の古代の神である龍蛇神の化身ではないか、と言うことです。
※以下ネタバレあり注意
第1作目の『ゴジラ』や16作目の『ゴジラ(‘84)』、『シン・ゴジラ』に今回の『ゴジラ−1.0』は、いかにしてゴジラを“駆除”するか、日本人が苦闘する物語です。
これは、日本の原住民が信仰する龍蛇神を、いかにして封印するか苦闘する朝廷の姿とリンクします。
ゴジラは2600年に及ぶ日本の宗教戦争のメタファーなのです。
原住民の精神的支柱である龍蛇神信仰。
龍蛇神が宿る河川は命の源であり、霊力の源です。
原住民を制圧するには、その信仰を封印しなければなりません。
しかも龍蛇神は、良い面だけではありません。
災害を引き起こす神様でもあります。
大雨による水害はもとより、地中に張り巡らされる龍脈は地震を引き起こすきっかけにもなります。
龍蛇神である瀬織津姫の荒魂である禍津日神(マガツヒカミ)がまさにそれです。
禍津日神はさまざまな厄災を引き起こします。
なおさら封印しなければなりません。
ゴジラは、そんな日本の宗教戦争をベースに、第二次世界大戦の記憶と原爆の恐怖というテーマを描いた。そう考えます。
『ゴジラ(‘84)』は冷戦の米ソ対立の世界情勢を描き、『シン・ゴジラ』は福島第一原発の事故を描き、当時の社会世相をゴジラに反映させてます。
では『ゴジラ−1.0』はどうなのかというと、これが面白いことに、戦後直後を舞台にしながら、日本の未来を描いているのです。
戦後直後、GHQの命令により軍隊が解除され、米軍はソ連との対立で軍事介入できないという状況下で、民間の力でどうゴジラと戦うか。
これは、世界の警察を降りたアメリカの庇護下にいる現在の日本と非常に似ています。
ウクライナ戦争みたいに、アメリカは守ってくれないのではないか。その時は国は戦ってくれるのか。我々が戦わなければいけないのではないか。
ゴジラを使い、未来に日本で起きるであろう有事をシュミレーションしているのです。
「このままアメリカに守られるだけで本当にいいのか?」
そう訴えかけてくるのが、『ゴジラ−1.0』なのです。
話を戻しますと、ゴジラと人間の戦いは、古代の神々である龍蛇神と朝廷の戦いのを土台に、その時その時を世相を反映させたものなのです。
ただ面白いのは、ゴジラが人類の敵として描かれたのは、ゴジラシリーズ30作中たった4作なのです。
あとは正義の味方として侵略する怪獣や宇宙人をやっつけるのです。
つまり、日本人は龍蛇神が大好きなのです。
何万年も龍蛇神を祀ってきたので、遺伝子に刷り込まれてるのでしょう。
ここ数千年前にできた一神教が太刀打ちできないはずです。
ゴジラは、日本人の遺伝子の記憶の投影なんですね。
なので、怖いゴジラもいいのですが、次は正義の味方のゴジラも復活して欲しいのです。
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