おはようございます。
くましね薫です。
前回、福島県南相馬市にある「三嶋神社」について記事を書きました。
三嶋神社(三嶋神社)は、愛媛県今治市にある「大三島」に鎮座する「大山祇(おおやまつみ)神社」を総本山にする神社です。
この大山祇神社は、「日本総鎮守」と称されます。つまり、日本を守ってくださっている神様の大本のお社です。
とても重要な神社です。なのに、世間ではあまり知名度がありません。私も古代史を調べるまで知りませんでした。
なぜこれほど重要な神社が、人々に知られていないのか。
それは、古代の日本で絶大な力を持っていた「女性祭祀王」と関係があるからなのです。
日本の歴史では「女性祭祀王」が登場することはあまりありません。
かろうじて、記紀に登場する「セヤダタライスズヒメ」や「ヤマトトビモモソヒメ」ぐらいですが、彼女たちが活躍する場面はあまりありません。
そして中国の歴史書である『魏志倭人伝』に登場する「卑弥呼」によって、女性祭祀王の存在が明るみに出ますが、その正体は誰なのか今もはっきりとは分かりません。
しかもこの「卑弥呼」という名も「卑しい」という字が当てられ、明らかに蔑称で書かれています。
本来は、「日巫女」「日御子」「姫御子」という意味です。なので以降「ヒミコ」と表記します。
私が考察の参考にしている「出雲口伝」にも、古代は女系社会であったと記されています。
当時は「通い婚」で、夜になると夫は毎晩実家へと帰るそうです。
しかし、女系社会と言っている出雲口伝にも、女性が活躍する記述はありません。活躍するのは男性ばかりです。
女性祭祀王の存在は、出雲口伝でさ隠されているのです。
その女性祭祀王を神格化したのが「三島湟咋耳(みしまみぞくいみみ)神」です。
あまり馴染みのない神様です。
この神様は、出雲国王である大国主の息子の事代主の妻となった女性です。
そして、二人の孫娘であるヒメタタライスキリ姫は、初代天皇である神武天皇と結婚します。
出雲の王と結婚し、孫娘は大和の大王と結婚する。そんなことができるのはすごい血筋の者でしかできません。
むしろ、この三島湟咋耳神の血筋を得ることが「王の条件」ではないのかとさえ思ってしまいます。
古代の王族たちがこぞって求めた三島湟咋耳神の血筋。それは「女性祭祀王」の血筋です。
そんな重要な事実が、現在の歴史では完全に消されてしまいました。
よほど権力者・藤原氏にとって都合が悪かったのでしょう。
この女性祭祀王を深く追求するためには、まず古代日本「縄文時代」をよく理解しなければなりません。
最近縄文時代が見直されていますが、では縄文人はどのような世界観で生きていたのでしょうか。そこを解明しないといけません。
というわけで次回、縄文時代考察「世界は母親のお腹にある」をお送りします。
お楽しみに!
<参考文献>
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ありがとうございました。