おはようございます。くましね薫です。
今回も縄文時代考察の11回目です。
前回は、スサノオの八岐大蛇退治は、古代ユダヤ人(ヘブライ人)が女性祭祀王「三島家」に婿入りしたことを描いていると考察しました。
八岐大蛇を退治した英雄スサノオですが、なぜ彼はその前に「高天原」を追放されたのでしょうか?
画像引用 古事記 : スサノオ - 高天原(たかあまはら)三丁目
私は以前、縄文時代に東日本にあった「日高見国」について考察しました。
そして富士山および富士山が見える場所を「高天原」だとも考察しました。
そうなると、「スサノオの高天原追放」というのは、「日高見国が古代ユダヤ人の渡来を拒否した」という意味になります。
私が製鉄集団「ヤタガラス」が最初、東日本に製鉄文化を拡めなかったと考察した理由もここにあります。
彼らは日本に製鉄文化や稲作文化、そのほかに絹織の技術などを伝えようとしました。
スサノオが高天原で暴れるとき、馬の首を投げ飛ばした描写があるように、牧畜の文化も伝えようとしたのかもしれません。
しかし、日高見国はこれを拒否しました。
なぜなら、東日本では縄文文化はすでに完成されていたからです。
自然豊かな日本では、食料の心配は入りません。
しかも全ての魂は輪廻します。食料も、手篤く葬ればまた帰ってくるのです。
なので稲作文化など必要ないのです。そのため関東地方に稲作が伝わるのは日本でいちばん遅かったのです。
しかも縄文人は平和を愛する人々です。鉄器など必要ありません。彼らには高度な技術力を誇る「縄文土器」があるのです。しかも製鉄には山を削ります。聖なる山を汚されたくはありません。
もしかすると、古代ユダヤ人は、日高見国で製鉄を行なったかもしれません。しかし山が荒れ果てる姿を見て日高見国の人々は怒り、彼らを追放したのかもしれません。
つまり、「スサノオの高天原追放」とは、大陸の文化を拒んだ日高見国を描いているのです。
日高見国というのは、恐ろしく保守的な国だったのです。
しかし、縄文時代が3万年も続いた理由はそこにあるのかもしれません。
なんでも文化を取り入れるのではなく、長い年月をかけて精査し、徐々に取り入れる。
これほど渡来人が日本に渡ってきているのに、我々は日本語を失っていないのですから、これも縄文時代から続く日本人の特性なのでしょう。
こういったことから、古代ユダヤ人(ヘブライ人)は日高見国を追い出され、西日本に流れ着きます。そして彼らは出雲国の公害を解決し、無事に女性祭祀王に婿入りするのです。
こうして西日本では大陸の文化が伝わり、そのまま弥生文化が発展するのです。
こうして東西の格差は拡がっていきます。
そして、寒冷化により東日本の人々は西日本へと流れていきます。
これが日本神話で有名な「出雲の国譲り」に発展するのです。
次回につづく。
以上は私の仮説です。
あくまでエンタメとして楽しんでください。
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