前回は、『大祓詞』が蝦夷討伐のために作られたものだと考察しました。
そうなると、大祓詞が唱えられる神社の意味が変わってきてしまいます。
神社とは、一般的には御利益を得るために行くところですが、実は違うのではないか。そう思いました。
私の考えですと、神社というのは二種類に分けられます。
ひとつ目は、その土地、その一族の偉人を祀っているもの。
ふたつ目は、古代の神様を封印し、押さえつけるためのもの。
大きくこの二つに分けられます。
そして圧倒的に数が多いのは、後者ではないでしょうか。
茨城県の利根川・霞ヶ浦周辺に神社が多いのはそのためでしょう。
水神・龍神の力が強すぎるので、権力側の神を使い、封じているのでしょう。
鹿島神宮・香取神宮はその役割を担っていると思われ、特に鹿島神宮は地震を抑えるための「要石」が地中に突き刺さっています。
私が住む福島県も調べてみますと、双葉町にある鹿島神社、南相馬市にある鹿島御子神社、福島市の鹿島神社には、それぞれ要石が突き刺さっています。
日本でいちばん多い神社といえば八幡神社ですが、こちらのご祭神は誉田別命(応神天皇)と神功皇后で、戦さの神として祀られていることを見ると、蝦夷討伐とリンクしてきますし、元々は海外の神が祀られてたという話もあります(ヤワタ=ヤハウェイ説)。
日本3大怨霊である菅原道真、平将門、崇徳天皇が祀られている神社は、その霊力の強大さを逆に利用されていると思われます。
有名な神社のご最新を調べると、ルーツが外国にあるものが多く、途中から神仏融合したことで、さらに強大な力が得られたのでしょう。
日本の宗教史とは、古代の神様を悪霊とし、それをいかに封じ込めるかの歴史
だったのではないでしょうか。
その封印の力を大きくするために、歴史を改竄し、ご利益があると言って人々を神社に参拝させた。
私たちは、ただただ利用させられていたのかもしれません。
神様のことなど考えずに、現世利益ばかり追い求めてきました。
この行為こそ、真の罰当たりではないでしょうか。
災害が多くなるのも当たり前かもしれません。
幸福度が下がるのも無理はありません。
私たちは根本的に考えを変えなければなりません。
生きるとは?
神様とは?
幸せとは?
その答えが神社に封印されている本当の神様にあるのかもしれません。
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