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なぜ豊国物部氏は福島県相馬地方を「浮田」と名付けたのか?

豊国物部氏による福島県相馬地方への蝦夷討伐の考察シリーズ。

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前回は上毛野国(群馬県)からどのようなルートで相馬地方へ進軍したかを考察していきました。

kumashine369.hatenablog.com

 

 

利根川〜海路ルートを進軍し、豊国物部氏は相馬地方を制圧。

それにより、ヤマト朝廷による蝦夷討伐が開始されたのです。

 

侵略者が征服した土地にまずすること。それは土地に名前を奪うことです。

 

なので古代の相馬地方の名前である浮田国」も、豊国物部氏がつけたものです。

 

では、この「浮田」の由来はなんでしょうか?

 

その答えは、宝田寿男氏が記した『吉弥侯部姓斑目氏の系譜』という論文にあります。

http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/kimikobe1.htm

 

宝田氏によると、群馬県富岡市にある貫前神社の神官である物部公と浮田国造(鹿我別(かがわけ)王)は同族であるそうです。

nukisaki.or.jp

 

その貫前神社の北方近隣に「宇田」という地名があり、そこが「浮田」の由来だそうです。

maps.app.goo.gl

 

鹿我別王は、制圧した土地を、自分の故郷にゆかりのある地名に変えたのだと思います。

 

もしかすると「浮田」は「うた」と呼ぶのかもしれません。

 

相馬地方はその後、「宇多郡」「宇多郷」と呼ばれます。

そして、「宇多川」が流れることから、「浮田」は「うた」と呼ぶと考えられます。

 

では、なぜ彼らは「浮田」という「浮」の文字を使ったのでしょうか?

 

私は「浮」の字を見て、思わず「俘囚(ふしゅう)」という言葉を思い浮かびました。

「俘囚」とは、蝦夷討伐の際に朝廷側についた蝦夷の民のことを言います。

ja.wikipedia.org

 

俘囚の「俘」と、浮田の「浮」は右側のつくりが一緒です。

「孚」は「まこと」と読み、信じるや授ける、覆うという意味があります。

 

つまり、朝廷に服従し身を授ける蝦夷の民という意味で、「孚」がつく漢字が地名に使われたのでしょう。

そして、鹿我別王のゆかりの地に当てて「浮田」という地名になったのだと思います。(浮田と俘囚も字が似てますし)

 

 

では次回は、豊国物部氏が相馬地方に創建した神社を紹介していきます。

 

↓次回へ続きます。

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