前回『ダンダダン』の記事で、
『鬼滅の刃』と『ダンダダン』は「魂の救済」を描いていると書きました。
『鬼滅の刃』も『ダンダダン』も、単なる悪役は出てきません。
悪になった理由が必ずあり、その理由を本人に悟らせ、救済するという物語です(その物語があるからこそ、鬼舞辻無惨の“純粋悪”ぶりが際立つのです)。
そして、その救済こそが、「日本人だけが持つ特徴」であり、「日本人の役割」なのです。
悪霊こそ丁重に奉(たてまつ)る
その精神が日本人特有のものであることが、『鬼滅の刃』の海外のリアクション動画を見る強く感じます。
劇中で敵である鬼の回想に入るとき、何人かの海外のリアクターは、「そんなの見たくない!」だの「早く叩き斬れ!」など不満を言う人たちが見受けられます。
やはり、「敵の魂を救済する」という発想は、日本人特有のものに思えます。
『逆説の日本史』で有名な井沢元彦さんは、日本を「怨霊思想の国」だと論じました。
日本人は、死者の霊が起こす祟りを、とても恐れる民族だというのです。
特に悲劇的な死を遂げたり、悪人のレッテルを貼られた者の死を恐れます。
だからこそ、日本三大怨霊といわれている菅原道真、平将門、崇徳天皇が大体的に祀られているのです。
これが神道の理論です。
よく靖国神社の問題で、「A級戦犯が合祀されているのはおかしい」という意見が出てきますが、これも神道的には何も問題はないのです。むしろ、A級戦犯が大悪人なら、なおさら丁重に祀らなければいけません(本当にA級戦犯が悪人かどうかは置いときます)。
しかし、それだととてもネガティブな印象を持ちます。
祟りが怖いから丁重に奉る。
それよりも、日本人には「全ての死者は丁重に奉る」という、素直な気持ちが根底に流れているように思えます。
縄文時代、お墓は集落の中央にありました。お墓を家々が囲んでいたのです。
人々は、死者の魂を中心に生活したのです。それほど死者の魂を大事にしていました。
日本人とは何か?
一言であらわすと、
「死者をいちばんに大事にする民族」です。
良い人も悪い人も、大事に弔う。これが日本人の信仰です。
日本人にとって神とは、亡くなった人の魂なのです。
とてもシンプルな信仰です。
そしてこの信仰は、日本が島国だったことが大きいでしょう。
海に囲まれていて、木が生い茂り、食物も豊富な環境で、平和な時代が長く続きました。その土地で生まれた、特異な信仰でしょう。
しかし大陸の歴史は戦争の歴史です。相手のことを想っている隙に、自分が殺されます。
敵は問答無用で攻撃しなければなりません。
だからと言って、すべての海外の人が、日本の信仰を理解できないとは限りません。
先ほど言及した『鬼滅の刃』の海外リアクター問題。鬼の回想にクレームをいう人たちもいますが、多くの海外の人は、回想シーンを理解し、涙しています。
現在、世界中の人が日本のアニメを視聴しています。日本のサブカルチャーでこの精神を普及することが、世界の平和につながると期待しています。
2024年11月20日から、つまりあと3日で、冥王星が水瓶座に完全移行します。
これにより、既得権益が崩壊し、秩序が乱れ、さらに格差が拡大する弱肉強食な時代が訪れると予想されます。
そんな時代だからこそ、日本人の「悪霊こそ丁重に奉る」精神が重要になってくると思っています。
20241118追記
しかし、全ての悪に同情すべきではありません。同情すべきか、「純粋悪」かを見分けなければなりません。
次回、論じてみます。
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