2日前の記事で、日本人特有の信仰について、「悪霊こそ丁重に奉る」と解説しました。
自然豊かで食物の心配がなく、平和な時代が長く続いた日本では、大規模な争い起きなかったので、善人も悪人も同じように祀りました。
その精神が、『鬼滅の刃』や『ダンダダン』に色濃く反映されています。
この世に絶望し、悪霊となった魂を救済する
このふたつの作品に通底する精神です。
悪霊もまた被害者なのです。
悪人の魂こそ、丁重に奉ることはわかりました。
それでは、悪はすべて同情すべきなのでしょうか?
いいえ、違います。
それとこれとはまったく別です。
この問題は、すでに『ジョーカー』の考察で述べました。
この作品は何を描いているのか簡単に述べると、『ダークナイト』のジョーカーを自分だと勘違いし、『ジョーカー』でアーサーも生い立ちに同情している奴らを、「バーカ」と嘲笑う、イジワルなブラックジョーク映画なのです。
すべてはジョーカーのジョークだったのです。
つまり、凶悪犯罪を起こした犯人に、憧れたり、同情したりする奴らを全否定しているのです。
私たちは、この感覚をしっかりと持たなければなりません。
この世界には、ごくわずかですが、犯罪を犯すために生まれてきた人間がいます。
犯罪を犯すことを宿命とした者です。
それを「純粋悪」と呼びます。
みなさんも、実際起きた凶悪事件を思い浮かべたと思います。
そんな星のもとに生まれた純粋悪は、どんなことがあろうと犯罪を起こします。
貧しい生い立ちだろうが、裕福な家庭で育とうが、どんなことがあろうと犯罪を犯します。
そのような人間に、同情の余地などありません。
『鬼滅の刃』の鬼舞辻無惨がそうですし、上弦の弐の童磨もまさにそうです。
こいつらは軽蔑すべき存在です。
画像引用
アニメ「鬼滅の刃」上弦の弐・童磨(どうま)はどんな鬼?声優は宮野真守さん! | アニメニュース | アニメフリークス
しかし、そんな人間も、死んだら手厚く祀らなければなりません。
そこはきちんと理解しましょう。
けれども、同情はいっさいしなくていいのです。
彼らは宿命に従っただけですから。
それよりも、被害にあった方に祈りを捧げ、魂を救済しましょう。
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