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『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』考察:この世界にジョーカーはいないし、お前はジョーカーでもない

<この記事にはネタバレが含まれています>

 

 

 

現在、『ジョーカー』の続編である『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が公開されています。

↓画像引用


www.youtube.com



公開直後からネガティブな情報が多く、とても心配しました。

実際私も鑑賞しましたが、物語のスケールがあまりにも小さく、物語の進行を邪魔する粗悪なミュージカルシーンに辟易しました。

 

はっきり言って、つまらない作品です。

それは逆を言うと、第1作目があまりにも完成された作品だったあらわれなのです。

続編など入る隙のない、美しくて悲劇的な完璧な“ジョーク”だったのです。

 

しかし、そんな完璧な作品を作り上げたトッド・フィリップス監督の続編を、ただ「つまらない」と一蹴していいのでしょうか?

彼が描きたかったメッセージが確実にあるはずです。

 

今回はその“ヴィジョン”を考察していきたいと思います。

 

 

私は以前、このブログで前作『ジョーカー』を考察しました。

kumashine369.hatenablog.com

 

その考察を要約すると、

作品で描かれている主人公アーサーの悲劇と覚醒は、すべてジョーカーの”ジョーク“だったということです。

いったいどういうことか。

これは、ダークナイト公開後に全世界に出現した、

「俺はジョーカーだ!」

とジョーカーに憧れた奴らに

「そんなわけないだろ、バーカ」

と、ジョーカー自ら嘲笑するという、非常にタチの悪いメッセージの映画だったのです。

 

しかし、それを直接的に描かず、様々な解釈ができるように終わるので、誤解した人も多くいます。

 

 

そこで登場したのが続編である『フォリ・ア・ドゥ』です。

 

この作品は、刑務所の中で生活するアーサーから始まります。アーサーはおとなしく、気弱そうです。

前作のラストでみせた狂気のジョーカーはどこにもいません。

そして劇中では、アーサーが殺害した人数が“5人”だと指摘されます。前作ラストで殺害したカウンセラーが含まれていません。

 

つまりこの続編は、“ジョーカーのジョーク”の続きなのです。

いやいや、そのカウンセラーはジョーカーに襲われただけで死んでないかもしれないじゃん、とあなたは思うかもしれませんが、それなら傷害事件として裁判で触れられるはずです。しかしこの事件についてはまったく触れられないので、この世界線では起きていないのです。

 

“ジョーカーのジョーク”で展開されるジョーカーとハーレイの“フォリ・ア・ドゥ(二人狂い)”

本当にハーレイは存在するのか疑ってしまうほど、崩れそうな世界観で二人は歌い、踊り狂います。

 

そして裁判に出廷するアーサー。

ゴッサム市民が注目する中、ジョーカーを支持する民衆で裁判所前はカオス状態です。

 

裁判で争われるのは、アーサーは二重人格であるかどうかです。

別の人格であるジョーカーが犯行に及んだかどうか。

 

しかしアーサーは思い通りに裁判が進まないことに苛立ち、彼はジョーカーのメイクをし、自ら弁護士となって法廷に立ちます。

 

裁判はジョーカーのステージとなります。

彼は狂人を演じます。

 

しかし元同僚のゲイリーは、アーサーを「心優しい人」と法廷で証言します。

ジョーカーを演じてるアーサーの心が揺らぎます。

 

「自分は本当にジョーカーなのか?」

 

それでも彼は強がり、テレビカメラの前で刑務所の看守をバカにします。

それが原因で刑務所で看守からの暴行を受け、独房に入れられます。

 

しかも、初めて愛した女性リーは、精神病患者でもなく、金持ちの娘で、嘘をつかれていました。

 

彼のプライドが壊れた瞬間です。

アーサーは最後の法廷で、「私は私だ。ジョーカーはいない」と証言します。

 

その発言に失望したリーや、ジョーカーを信奉していた人々は席を立ち、その場を去ります。

 

 

これがこの作品のメッセージです。

「この世界にジョーカーはいないし、お前はジョーカーでもない」

 

今回は前作でぼやかしたメッセージを、はっきりと明確に発信しています。

ジョーカーに憧れている奴は全員バカです。

 

そのメッセージを発した瞬間、裁判所は何者かに爆破され、アーサーは逃亡。そのシーンを長回しで描くという驚異的な展開に突入。

今まで退屈だった物語が、急に映画的に変わります。

それはアーサーに心象風景のようです。

自分の弱さを認め、仮面を脱いで解放されたアーサーそのものです。

 

この作品は、非常に退屈です。

しかしそれはアーサーの精神世界を描き、そしてジョーカーという存在を完全に否定するための手段です。

 

私たちは気づくでしょう。

狂人を装う人間の心は、なんて退屈で薄っぺらいんだと。

 

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