実は私、デヴィ夫人を間近で見かけたことがあります。
それは2011年7月、私の地元である福島県相馬市で開催された「相馬野馬追」のときのことです。
私は、野馬追のお行列が出発する長友グラウンドを訪れていました。
すると、明らかに周囲とは違う雰囲気の一団が目に入りました。
黒服の男性たちに囲まれた、派手な装いの女性――
遠くからでもひときわ目立つその存在感。
よく見ると、集団の中心にいたのは、あのデヴィ夫人でした。
高齢とはいえ、やはり華やかで美しい方でした。
しかし、なぜ彼女がここに?と不思議に思いました。
この年は東日本大震災があった年。
その関連で来訪されたのかと、当初は漠然と考えていました。
後に調べてみて、ある事実を知ります。
デヴィ夫人(本名:根本七保子)のお母様は、福島県双葉郡浪江町のご出身だったのです。
浪江町は南相馬市の隣町で、震災当時は避難指示区域に指定されていました。
戦時中、デヴィ夫人は東京から母の実家である浪江町に疎開していたそうです。
もしかすると、私が以前取り上げた1945年8月9日の空襲にも、彼女は巻き込まれていたかもしれません。
さらに偶然にも、児玉誉士夫も福島県本宮市の出身であり、二人には「福島」という共通のルーツがあるのです。
そしてデヴィ夫人が支持している田母神俊雄氏もまた福島県郡山市出身です。
デヴィ夫人と福島県。そして相馬地方――。
この縁をさらに掘り下げていけば、まだ知られざる事実が浮かび上がってくるかもしれません。

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