私の地元である福島県相馬市の郷土史には、サンカに関する記述がいくつか見られます。
例えば、新地町の鹿狼山の麓には、終戦までサンカが住んでいたとか、相馬市の神社の軒先にサンカが暮らしていたという話。また、「福島県には昭和50年代までサンカがいた」という記録も残っています。
さらに、Googleマップの口コミ情報では、浪江町の権現堂城跡の洞穴に戦後直後まで人が住んでいたという記述があり、これもサンカだった可能性があります。
https://maps.app.goo.gl/NbJfLocjaqBPmdyh9
私の祖母は昭和7年生まれで、現在93歳です。
祖母の実家は山の麓にあり、もしかしたらサンカのことを知っているのではと思い、話を聞いてみました。
「ばあちゃんが子どものころ、サンカっていた?」
「え?サンカ?」
サンカという言葉には馴染みがないようでした。
「あ、じゃあ乞食(こじき)は?」
「乞食ならいたよ。山の向こうからやってくるんだ。でも、いつの間にかいなくなってるの」
この特徴は明らかにサンカのものです。
「何か売っていなかった?箕(み)とか」
「ううん、何も売ってなかった。物乞いしにくるだけだよ。だから、盃一杯分の米をあげるんだ。」
どうやら箕売りはしていなかったようです。
「その乞食って、どんな格好してたの?」
「どんなって、普通の格好よ。うちらと変わらない。」
祖母が子どものころは昭和10年代。当時、サンカがお金を貯めて家を建てる例もあったことを考えると、一般庶民と同じような服装をしていたサンカがいても不思議ではありません。
すると、台所で私たちの話を聞いていた70代の叔母が口を開きました。
「私の子どものころもいたよ、乞食が」
「え、本当!?」
「うん。お米を恵んでほしいって来たから、少しだけあげたの。そしたら不機嫌そうに帰っていったよ。」
おそらくこれは昭和30年代のこと。戦後しばらくは相馬地方にもサンカが存在していたようです。
しかし、相馬地方に関するサンカの具体的な情報はほとんど見当たりません。
ところが驚くことに、明治時代の南相馬市にサンカがいたという記録があります。それを発表したのは、あの有名な民俗学者、柳田國男です。
次回は、柳田國男の論文をもとに、南相馬市にいたサンカの姿を追ってみたいと思います。
